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いついかなる時でも

先日に知り合いとカラオケに行き、かなり大声を出して絶叫し、頭が真っ白になった。一種の酸欠状態だったかもしれないが、人が歌っている間は、あまり思考も浮かんでこずに、ただそこにあるという状態だった。


そして歌う時には一転して、ひたすら大声で歌った。私は歌がうまくはないが、声は大きく出るしよく通る。それはヨガで呼吸法を行ったり、丹田を鍛えていたからだろう。


その時はあまり寝ていなかったのもあり、意識も半ば朦朧としていて、いつも以上に深い意識に入っていた。それで絶叫していたから、完全に変性意識状態だった。それでもどこか覚めていて、気づきは保っていた。


静かにしているだけが目覚めに至るわけではなく、もちろん騒いでいるだけではどうしょうもない。またカラオケなどは聖なる場所というよりは俗なる場ということになるだろうが、そこでも目覚めに至ることが可能だと思う。聖なる場は確かに存在し、そういう所に行くのは大切だが、それが全てではない。覚醒する時は、いついかなる状況でも起こり得る。

仕事中にも起こる

私は仕事柄、一人で立っていたり、座っていることが多い。その際は仕事中であるから、完全に意識を内面に向けているわけにはいかない。そうしてしまうと仕事にならない。しかし最近は仕事中でも自然に瞑想状態に至ることが多い。意識的に座って瞑想していくのではなく、日常生活においてそれが起こるわけである。


これは他の場面でもあり、人と話していて、相手の話を聞いている時にもそうなることが多くなっている。それが起こる時は、人と接していようが、体が動いていようが関係なく起こる。一人静かに座していないと瞑想できないということは全くない。


ワンネスとは特殊なものではなく、今この瞬間、常にここにある。外側にわざわざ探し求めるものでもなく、特別な人だけが理解するものでもない。誰にでもそれを理解し体得する可能性はある。しかし、私達はそれをわざわざ難しくしてしまっている。


それは特別なものであるという錯覚であり、自分とは遠いところにあるという思い込みが、それが起こることを困難にしている。厳しい修行の結果、それを得ると思う人も多い。しかし実際は、日常生活で起こることであり、それを多くの人が一瞥している。ただそれに気づいていない例が多い。


今までは確かに覚醒していくことは難しかったが、何人かの人が言っていることであり、私も感じているのは、今までよりも今は、目覚めが起こりやすくなっている。まだ多くの人がいきなり目覚めるという事態が起こるとまでは思わないが、以前よりもずっと目覚めに関心を持つ人も増えてきており、それも起こりやすくなってきている。世の中がお先真っ暗で悲観的になったり、絶望している人もいるが、それはまだ早いだろう。もちろん単純に楽観視もできない。ただ淡々とあるがままてあればいい。

みんなと共に在る

昨日は8時間ほどのリトリートに参加してきました。日常が瞑想となりつつありますが、時には仲間と集ってよい場で瞑想したり共鳴したりするのも大切です。それによってより目覚めが深まっていくのを実感します。


一番最初の瞑想では、意図的に考えることを止めてみるように言われ、近頃は無理に思考を止めたりしようとすることもなかったのですが、久方ぶりにそれをやってみると、マインドの動きがはっきりと分かり、いったんは思考や感情が色々とわきあがってきましたが、静まるのも早かったです。以前なら無理に止めようとするとかえってひどく思考が湧きあがってきましたが、本来の存在、プレゼンスというものを掴めるようになってきてからは、思考の動きに惑わされることが少なくなり、思考もすぐに静まるようになってきているのが分かりました。


その後も瞑想を続けていると、本来の存在、プレゼンスがどんどん広がり、輝きを増していくのが感じられました。最初は小さな目覚めから、より大きく深い覚醒へと発展していくのがよくわかりました。単なるエネルギー体験というより、存在そのものを感じている気がしました。目覚めのエッセンスを体験しているように思え、これは中々面白い、もっと続けたいなと思っていると、瞑想が終わりました。それはわずか5分か10分間での出来事でした。


休憩時間も長くありましたが、その間に都内にしては自然に恵まれたところを散策し、神聖な氣に触れることができました。昨日は雨が降りましたが、休憩時間はちょうど雨も上がり、傘をささずに歩けました。晴れた日に歩くのは当然気分の良いものですが、雨上がりの時は晴れている時とまた違う氣を感じ、これもいいものだと思いました。瞑想してから自然の中にいると、瞑想の体験が定着してくる感じがします。


午後の瞑想が始まる前から強いエネルギーを感じ、これは少ししんどくなるかと思いましたが、アクティブな瞑想を行い、それでエネルギーがうまく昇華されたようで、それからしんどくなることもなくなりました。静かにただ在ることが最も大切ですが、体を動かしたり、呼吸に意識を向けるなどのことも大切であることを再確認しました。


アクティブな瞑想の後は静かに座り、呼吸に意識を向け、気づきを明確にし、分かる人は沈黙のスペースと共に在り、溶け込んでいくように言われましたが、私は最初から沈黙のスペースを感じ、そこに溶け込んでいきました。自分一人でもよくそのスペースを感じますが、大勢の人とともに在ると、また違った体験が生じます。その時には透明で静かでありながら、ほのかな温かみも感じていました。そこに集う人たちで、感じ方も変わってきます。しかし根本はみな同じであると思います。


それから行ったハートの瞑想では、私もよくハート瞑想の時に使う音楽が流れ、それとともにハートが開いていきました。その開き方は自然に起こり、いつの間にか開いていたという感じでした。音楽が終わるとアティーシャのハート瞑想に移り、これも何度も行っている瞑想ですんなりと行えました。悪いと思われたり感じられるものを呼吸と共に取り入れ、それがハートで光の、愛のエネルギーと変容され、それを吐く息とともに周りに出していきます。それを行っているとハートがどんどんと広がっていき、ハートのスペースと共にただ在りました。この瞑想を行うと、愛を感じたり、浄化の涙が出るという人も多いのですが、私は「全ては愛だ。素晴らしい!」などと感激をすることもなく、ただハートのスペースとともに在りました。それはとても穏やかで落ち着いたものでした。そこには一切の区別というものが生じていません。それこそがまさしく私たち本来の在り様です。


最後の瞑想では今日行ってきたこと全てが一つとなり、今ここにただ在り、気づきとくつろぎとハートが一体となっていました。前日あまり寝ていなかったので、瞑想や共鳴中はひどく眠くなるかと少々心配でしたが、多少意識が飛んでしまうこともありましたが、基本的には意識は鮮明で、とてもすっきりしました。長めの瞑想で疲労を感じている人もいましたが、私にとってはこんなに楽でいいのかと思えるくらいで、なおかつ激しい行や瞑想を行う以上の成果があり、もはや覚醒するには厳しい修行が必要であるとか、何日もの瞑想が欠かせないといった今までの私の常識は完全に覆されました。


終わってからの懇親会では美味しいイタリア料理にビールやワインを嗜み、そこでも色々と興味深い話ができました。解脱や悟りを求めている人たちにはストイックなタイプも多く、私もかつてはそうでしたが、そうしたところで悟れるというわけでもなく、楽しみつつ目覚めていくのがこれからの流れではないかと感じられました。


このような機会が与えられたことに感謝し、また参加できる時には参加したいと思います。

覚醒してもスーパーマンになるわけではない

悟った人は常に完全に気づいているわけでも、考えることなくどんな課題にも、即座に応答できるわけではない。悟りは武術の達人や侍になることではない。外側に完全に注意深くあることは、人に内的境地をもたらすには十分ではない。内的境地の中に完全にいても、それは外側に注意深くあるという質には何の影響も与えない。なぜそうなのか?それは、外側と内側の気づきは、それぞれ、全く違う意識の側面が請け負っているという、シンプルな理由からだ。究極的に、内面を知ることは、個人の意志とは何の関係もない。それは無条件だ。

エンライトメント 伝統を超えて アジズ フーマン共著より



目覚めたり覚醒したりすると、外的なことも何でもできてしまったり、失敗などなくなってくると思う人もいるでしょう。また武術の達人などは、超絶的なパフォーマンを発揮したりしますが、目覚めとそういうことは大きな関連性はないようです。またマインドも一切動かなくなるかといえばそうでもなく、動くこともありますが、目覚めてくるとミスやマインドの動きなどにとらわれることがなくなってくるようです。


覚者の伝記を読んでいても、感情を動かす場面が見受けられますし、私の知り合いでも目覚めつつあると感じられる人が何人かいますが、その人たちと接していても、マインドの動きはありますが、それに引きずられることがありません。


私自身目覚めつつあるという感覚があり、それは私個人のものでなく、何人かの知り合いもそのように言ってくれていますが、それでも仕事上のミスはあるし、マインドの動きはあります。しかし、以前と比較してもそれでずっと引きずられることがなくなってきました。以前はミスしたり他人の言動にいちいち反応し、痕跡を残していましたが、それがなくなってきて、そうなるととても楽になります。


昨日は仕事上のことで重大なミスになりかねないことをしてしまい、そのことでかなり強く注意されてしまいました。社長車を破損しかねないことをしてしまい、そのことで運転手さんから強く注意されたのです。普段は穏やかな人なのですが、その時は少々感情的ともいえるくらいの状態で、私に注意をしてきました。


そのことで私のマインドは動きましたが、直にそれもおさまりました。これは何の反省もないというのではなく、ミスはミスとして受け止め、しかしずっとくよくよ思い悩むことがないのです。注意されたことに対して無反応でもなく、そのことをずっと思い悩むこともなく、ただ淡々と受け止めたのです。


目覚めていようがそうでなかろうが、ミスをする時はします。目覚めてしまえばミスもしないというのは幻想にすぎず、悟りに対しての誤ったイメージでしかありません。しかし目覚めてくると、ミスをしてもそれに対して冷静に対応し、痕跡を残さなくなってくるようです。


目覚めたり覚醒することは何もスーパーマンになることではなく、ごくごく当たり前の人となることです。なるという言い方も正確ではなく、本来の在り方にただ在るという方が正確でしょう。霊的、精神的な実践をしてくると、色々と不可思議な体験をしたり、そのような現象が起きたりします。それにとらわれるケースも多いですが、目覚めてくるとそういったことがどうでもよくなり、とらわれなくなっていきます。目覚めてきている人はみなそうなっていきます。あるがままにただあることこそ、最高の神秘ではないでしょうか?

リアル合同共鳴

私はかつて、悟りや覚醒といったものは、長い時間をかけて苦労をして修行や瞑想を行っていき、そうして獲得していくものだと思いこんでいました。そのように思っている人は今もまだ多いだろうし、かつてはそうしなければならなかったかもしれません。しかし今の時代には、それは必ずしも当てはまらないように思えてきました。長く激しい修行が必要というのも幻想にすぎないのです。


昨日はリアル合同共鳴というものに参加してきました。ここでは何人かで集って瞑想するというよりも、ただそこに在り、真我が自然に現れてきて、それがその場で共鳴し合っていくというものです。その現れは様々ですが、透明で繊細で広がりがある、というのは共通して感じられました。


初めて参加する集いでは、どうしても緊張するものですが、今回はあまりそういうこともなく、すんなりとその場に溶け込めました。何人かはすでにお会いした方々だったというのもありますが、そこに集う人たちがスピリチュアルなことに関心がある人たちでありがちな、ギラギラした波動を出していることもなく、エゴをむき出しにしていることもなく、ごく自然でその場に居たというのが大きかったです。


みんなで共鳴をしていく前からすでにそれが起こっている感じがして、キターーーーと心の中で叫んでいました。それからは透明で繊細なものをずっと感じ続けていて、3時間ほどの時間があっという間に過ぎ去っていきました。時間の感覚もなくなっていき、時空を超えていきました。


共鳴が進んでいくほどにその場がとても高まっていき、透明さだけでなく、密度の濃さも加わってきたように感じられました。ある種の強さも感じられたのですが、男性的なパワフルさというのではなく、また粗雑なものでもなく、繊細でありながら力強い、存在そのものの強さといったものでした。今まで私は修行などをして力強さを感じたり、そういうものに惹かれていたのですが、それは粗っぽいものであり、繊細でありながら力強いというのは、以前にはあまり感じたことのないものでした。


エネルギーとして存在そのものを感じ取っているとは思いますが、単なるエネルギー現象としてとらえると、方向がずれてしまうと感じました。終わってから参加者の方と気づきが背景にあるかが大切という話をしたのですが、共鳴を感じる人はこれから増えてくるでしょうが、気づきがあるかないかが本当に目覚める、覚醒していくかの分かれ目になっていくのでしょう。


密度の濃い場に長くいると、その後心身がきつかったり、浄化作用が起こる場合もあるのですが、今回は終わってからも意識が鮮明で、とてもクリアでした。共鳴している時からとてもクリアでしたが、それが持続していました。意識が鮮明であるということはとても大事で、それこそが本当のリアリティというものです。それが体験できることはとても素晴らしいことです。


リアル合同共鳴では何か特別なことをするわけではなく、ただ座ってそこに在るだけですが、そこで起こることは言葉では表現しきれないものです。全ての人がそれを理解できるかといえばそうもいかないでしょうが、これからの目覚めを加速させていくものの一つではないかと感じました。


ここで得られたものを、自分一人だけのものにするのはもったいないことで、周りにシェアしていきたいという思いも、共鳴中に生じていました。その一環として、来月17日土曜に瞑想会を行う予定です。詳細は近いうちにアップします。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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