スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

もはや習慣

6月4日5日とリーラスペースの主催する瞑想会に参加しました。
http://www.leela.jp/event/0/ee17aonaitoaiwan.html

約一年前から参加していますが、毎月必ず二日間のうちどちらかには参加しており、「決めたからには行かないと」「面倒くさいけど行くことにしよう」「瞑想して何かを得よう、こんな体験をしたい」などということはなく、参加することが毎月の習慣のようになってきています。瞑想が自然に起こるものとして確立しつつあるのでしょう。

昨日は昼から瞑想談話室があり、色々と興味深い話が展開されました。夜からが瞑想で短い時間でしたが、深い瞑想が自然に起こりました。ここ何回かはなかなか瞑想状態に入りにくかったのですが、今回はあっさりとそれが起こりました。ひと月ほど前に参加したリトリートの影響がまだ残っているようでした。

瞑想における気づきというものが、以前は男性的エネルギーで一本筋が通った、強固なものとして感じられていましたが、今回は中心軸すらもあまり感じられず、もっと広がりがあり、全体的なものとして感じていました。心身ともにくつろぎ、以前によくあった緊張状態があまりありませんでした。以前からずっと座る時には結跏趺坐で座るのが当たり前でしたが、昨日と今日はその姿勢だと緊張状態になり心身がゆるまず、全体的なものが感じられないので、あぐらをかくような座り方を主にしていましたが、それで簡単に瞑想が起こりました。結跏趺坐も私は手放しつつあるようです。

またマインドが動いても、ハートが開いている感覚があり、そうなるとマインドがいかに動いても惑わされることがなく、ただそこにあるという状態になっています。相変わらずマインドが動きまくりますが、その背景にあるものをとらえているので、マインドに振り回されることが少なくなりました。ハートの源泉からエネルギーというか恩寵が常に来ているようであり、それは大きな広がりでもあり、そうなると瞑想と日常が区分されなくなってきます。ハートのスペースがよりはっきりと感じられるようになってきました。

そういう体験は何年か前からしてはいました。ですが、その時は瞑想上の体験と自分とが完全に別物としてとらえられていましたが、今はそれは何ら変わるものではないと頭ではなくもっと深いところで理解できるようになってきました。体験しているということは、体験と自分が別であるというのが前提としてありますが、体験と自分自身が変わるところがないという理解があると、二元ではなくなります。人間は区別することに慣れているので、どうしても別々のものとしてしまいがちですが、それがそうではないことがわかりつつあります。

昨日は何の障害もなく瞑想を行いましたが、今日はやりにくく感じることもありました。気づきをはっきりさせるために、頭の上にカップを乗せて瞑想するということを行いましたが、自分のクラスでもそれを行なって好評で、私自身もいいやり方だと思っていましたが、今日はそれがやりにくくてしょうがなかったのです。昨日から心身がくつろいでしまい、緊張をともなう実践がかえって邪魔になってしまったようです。仕方ないので途中からカップを下ろしてくつろいで座っていました。

また本日はくつろいだのはいいのですが、何度か意識がなくなってしまうことがありました。瞑想中に寝てしまったり、意識が飛んでしまうことは以前にはよくありましたが、最近はそれほどなかったのですが、今日は何度か意識がなくなっていました。眠気とも違うし、瞑想が嫌だということもなく、自分としてはなぜそうなったかはっきりわかりませんが、より瞑想が起こるようになるための前段階に起こる浄化作用かとも思いました。本来の自分に戻っていくのは、安らぎと至福に満ちているばかりではありません。ボディ・マインド・ソウルが変化していく上で、何らかの変調をきたすこともあります。どうもまたそのような状態になってきている感じがします。

最後にハートの瞑想で、アティーシャのハート瞑想を行い、これはネガティブなものを呼吸と共にハートにもっていき、吐く息と共にポジティブなものをそこに流していくという瞑想ですが、これは以前から好きな瞑想で、とても効果的ですが、今回はネガティブなものを吸収し、ハートを広げていく段階で、ハートに衝撃が走りました。今までのキャパシティより多くのものを吸収したようで、ハートがさらに広がってきているのかもしれないと思いました。

瞑想が終わってから、そこにいる人全員で、軽くハグをして回りました。天使の羽のように軽やかに行なっていきました。男性通しでハグをすることに通常の概念では抵抗があったりするものですが、男性も女性も関係なく、ハグをしていきました。ハートでつながると性別や年代など関係がなくなります。このようなハグはとてもいいものだと感じました。

来月も参加して、ただそこにあろうと思います。

何もしない日々

5月の3日、4日、5日とリーラスペース主催のリトリートに参加してきました。
http://www.leela.jp/index.html

今回は以前にリトリートに参加したことがある人のみが対象で、人数も多すぎず少なすぎず、ちょうどよい感じでした。また寛いでハートにとどまる瞑想が中心で、今の自分にとって必要とされる内容でした。

二日連続で泊りがけの仕事あけで、家に帰る余裕もなく鈍行列車に乗って現地に向かったので、初日は疲労と眠気で少々きつかったです。それでも一番最初の瞑想では、フーマンの講和が録音されているものを聞いて瞑想しただけで、今までと違うハートのつながりを感じ、「これは幸先よいスタートとなった」と喜んでいました。しかし夜の瞑想では、疲労と眠気が一気に出てしまい、座ったまま腰を折り曲げて、額を床につけて意識を飛ばしてしまいました。以前から私はその姿勢で寝てしまうこともよくあったのですが、それを見ていた人たちは衝撃的だったようです。翌朝は瞑想中に体が動き過ぎると注意されてしまい、困惑とプライドが傷ついてしまいました。

二日目の昼には笑いと泣きの瞑想があり、これによって心身が浄化され、その後の瞑想では意識が飛んでしまうこともなく、極端に体が動くこともなく、平穏に瞑想を行っていくことができました。今回はマインドの動きも大きく、雑念がかなり生じてきましたが、それも浄化のプロセスだと思い、あまり気にしませんでした。それはそれとして前回のリトリートで感じたハートの拡大や、ハートのスペースにとどまるということが今回も感じられ、また前回とは違う領域が開いたり、スペースにとどまる感覚がありました。リトリートが終わってからも、その感覚が続いています。

今回のリトリートでは、努力して達成するのではなく、寛いで今ここにありのままにあることが強調されました。私は長年努力して修行をし、何かを達成しようとすることを行ってきました。寛いで何もせずにただここにあること、あるがままにいること、というのは知識として知っていても、実際には今までやってきたこととのギャップが大きかったのです。それが今回は、何もしないこと、あるがままでいること、私たちはすでにそれであること、などがより実感を伴ったものとして感じられました。また釈迦の教えなどもこういうことなのではないかという気付きもありました。それは自分の思い込みかもしれないので、内容は書きませんが、ともかく内面の大きな変化がありました。

それにしても今までは集中的な瞑想や修行を行う際には、とても厳しいスケジュールで行ってきたのですが、リーラスペースのリトリートではとても楽なスケジュールで、初日にちょっときつかったくらいで、後は楽々瞑想し、しかも大きな成果がありました。三食食べて、休憩時間も長くあり、温泉にも入れて、などというと以前の仲間たちは、「そんなスケジュールで効果があるわけがない」と思うでしょう。しかし、それは誤ったやり方にとらわれているからであって、瞑想とは本来ただあることであり、最高のリラクゼーションであり、喜びに満ち溢れたものです。努力して達成するというのは、まだ途上の段階です。そのことがはっきりとわかってきました。

余計なことをなにもせず、ただ今ここにあるということが、最高の喜びであることがわかってきたので、することからあることへのシフトをより行っていこうと思いました。

また、リーラスペースの場が、間違いなく恩寵に満ち溢れたものであり、そこにただあるだけで、計り知れない恩恵があることも実感しました。グルやマスターに頼らなくても、覚醒に至れるのではないかと今まで以上に感じました。

アティーシャのハート瞑想

アティーシャのハート瞑想は、慈悲を培うのに最高の瞑想だと思います。また、二元的思考から脱却していくにも、非常に効果的です。私はヒーリングとしても用いています。
 


 アティーシャのハート瞑想は次のように行なう。目を閉じて呼吸に意識を向ける。 家族や友人、知人など自分が良く知っている人の中で病気や不幸、絶望や苦痛、不安や恐れ、といった惨めさや苦しみを体験している知人を瞑想中に思い浮かべる。息を吸う時、彼らの苦しみのすべてを、どんよりとした真っ黒な煙やタールのようにイメージして、それが鼻を通って自分のハートの奥まで入っていくのを観想する。その苦しみを自分のハートに取り入れるのである。次に息を吐き出す時には、自分のやすらぎ、自由、健康、喜び、至福をといったものすべてを光というイメージに変容させる。癒しと解放の光をハートから太陽光線のように輝いて知人に届くように観想する。この呼吸を繰り返す。

 それから知人が住んでいる街をイメージする。息を吸いながら、その街に存在するあらゆる苦しみを自分の中に取り込み、自分の幸福や健康を街に住むあらゆる人に送り返す。次にその地域全体に拡げ、さらに国、惑星、全宇宙へと広げていく。

 一般には「鬼は外、福は内」というのが普通だがこの瞑想は全く逆である。人の苦しみや邪気を吸ったら自分が病気や不幸になるのではないかと我々、凡夫は恐れるが、アティーシャのハート瞑想は自己と他者を入れ替えることによって自己執着に気づかせて、自我の壁を打ち壊してしまおうというのである。自己と他者というニ元性の垣根を取り払ってしまうのだ。幸せも苦しみも等しく非二元性の意識では存在しない。もし他者と自己を入れ替える事が出なければ自己は一なる全体から分離してしまうだろう。他人の苦しみを受け入れることができなければ、その人は分離した自己の中で苦しみ続けるだろう。

「この世のあらゆる苦しみは私たちが自己中心的で自分の幸福ばかリを望むせいで生じ、この世のあらゆる幸福は、他人を思いやることで生じる。」シャーンティディーバ

「自分を傷つけようとする人の幸せさえも願うことができたら、それこそが至福の境地の原泉だ。」アティーシャ

ウィスコンシン大学『感情神経科学研究所』の所長、リチャード・デビッドソン博士は慈悲の瞑想と呼ばれる修行を行なっている僧侶の脳の活動をMRIで計測した。一般的に快活で幸せな気性の人は前頭葉前部皮質の左側の活動が盛んなことが多い。この部位は、幸福感、喜び、熱意と関連づけられている。不安、恐怖、鬱にとらわれやすい人は、前頭葉前部皮質の右側が、盛んに活動している割合が高い。デビッドソン博士が計測した慈悲の瞑想をした僧侶のデータは他の被験者150人に比べると極端に際立っていた。慈悲の瞑想をしていた脳の前頭葉前部皮質の左側(額のすぐ内側)には、非常に活発な活動があったことをMRIは示していた。(瞑想の恩恵をめぐる科学的研究より)


イートハーブ心身統合研究所のページより
http://homepage.mac.com/iihatobu/index.html

ワンデイイベント

昨日はリーラスペースが主催する瞑想会に参加しました。
http://www.leela.jp/index.html

リーラスペースの瞑想会には、今年の夏から毎月参加しています。自分には指導される瞑想が合うので、毎回参加したくなるし、必ず何らかの成果があります。今月はリトリートがあり、その時は三日かけて集中して瞑想しましたが、今回はその時の復習のようなものでした。

開始時間より少々早くついたので、座って静かに瞑想していました。瞑想会ではいつも普段の瞑想より深い領域に簡単にいたりますが、この時も苦労なく深い領域に入っていきました。それはとても心地よいもので、外側のもので満足を得ようと我々はしてしまいますが、それでは決して得られることのできない喜びです。繊細な喜びとも言えましょうか。

今回は初めての参加者が多く、リトリートに参加していた人はほとんどいませんでした。それだからか、いつもと雰囲気が若干違っていました。座っていてマインドの動き方がいつもと違うのです。多少のやりにくさは感じましたが、それほどのものではなく、結果的には心地よく瞑想を行うことができました。

リーラスペースでは、瞑想において気づきとくつろぎとハートの三つの要素を強調します。気づきは単なる気付きではなく、気づきの主体にとどまっていることを言います。これはある程度の集中と努力が必要であり、慣れるまではあまり面白いとはいえないものです。しかし、これが根本にあるかないかでは、大きな違いがあります。今回私は、気づきの主体にとどまることは、しばらく前から訓練しているおかげで、ひどく苦労することはなくとどまることはできました。

ずっととどまることはなかなか難しいですが、離れては戻りを繰り返しました。どうしてもマインドが動き、気づきの主体にずっととどまることは難しいですが、比較的早めに戻ることができます。ふつうはマインドの動きに巻き込まれてなかなかとどまることができません。そして、気づきの主体にとどまるのは、最初のうちは眉間の後ろに意識を保つのがよく、私も最初のうちはそうしていましたが、最近はあまり一点に集中することがなく、今回ももっと広がりのある状態で、気づきの主体にとどまっていました。

それからくつろぎを行っていきましたが、激しい行や瞑想を行ってきた人は、瞑想においてくつろぐことがなかなかできません。私もそういう傾向がありました。それがリーラスペースで指導を受けていくことで、瞑想は単に集中や努力するだけでなく、くつろぎも大事だとわかってきました。気づきの主体にとどまるのは、エネルギーや意識は上に上がりますが、くつろぐことはハラにエネルギーが自然に下りてきます。今回はハラにきましたが、そこからさらに広がっていきました。そうなるとよりゆったりとくつろぐことができ、とても楽な状態になっていきました。

最後はハートで、リトリートでハートが段々開いてきた感覚が生じていましたが、今回は更に感じることができました。近頃はエネルギーが上から下りてきたり、下から上がるというより、ハートの奥底から自然にわきでてくるという感覚があったのですが、今回の瞑想でもそれがよくわかりました。自分ひとりでやっているときの方が感覚はよりはっきりしていますが、きちんとした指導のもと、大勢の人で瞑想することで、より深い恩寵が得られるような気がしました。これはその時に感じたというより、後になってじわじわと感じてきました。

今までは瞑想などをして、その時はハイになっていい感じなのですが、しばらくするとその感覚がきれいさっぱり失われてしまう、ということが多かったですが、リーラスペースでの瞑想は繊細な感じがして、効果が持続するという感じがします。これはマインドの変容が少しずつ起こったり、使われるエネルギーも微細なものだからではないかと思います。また特定のグルやマスターがいるわけではないですが、間違いなく恩寵が降りてきている感じがあります。それはなぜかというのははっきりとはわかりませんが、きちんと瞑想に取り組む仲間とともに行うことで、恩寵があるような気がしました。

私がある。いまここにある。ということが以前よりもつかめてきて、瞑想はするものではなく、もっと自然なものである、ということがわかってきました。無理にやるのではなく自然に瞑想に取り組んでいきたいと思いました。

瞑想の三つの要素

今月の初めのことになるが、リーラスペースが主催する瞑想会に参加した。

http://www.leela.jp/index.html

リーラスペースでは、OSHOとアジズ、フーマンのメソッドを主体として、
瞑想の指導がなされる。人それぞれ好みはあるだろうが、今の私は
リーラスペースでのやり方が、とても気に入っている。

OSHOのやり方にしたがい、まずは浄化の瞑想を行う。現代人は、ずっと
静かに座っているだけでは、マインドが複雑すぎるのできちんと瞑想で
きないばかりか、場合によってはおかしくなってしまう、といったことをOSHO
は主張しており、動的な瞑想を多く生み出した。これも人それぞれ色々と
意見はあるだろうが、私は理にかなっていると思う。

動的なOSHOのメソッドを行い、それからはアジズやフーマンのやり方で瞑想
を行った。アジズは瞑想に三つの要素が必要であり、それは気づき、くつろぎ
ハートの三つである。真我だ仏性だと言われても中々わかりにくいが、この
三つのパートに分類されるとわかりやすい。

まずは気づきを確立していく。普段私たちは意識が外側に向いている。これは
エネルギーが外側に向いているとも言えるが、それを内側に向けていく。そして
ポイントとして、意識を後ろの方に持っていく。そうすると気づいている状態に気
づくことができる。普段の私たちはマインドに翻弄されているが、そこから抜け出
していくことができる。

しかしこれだけでは緊張状態でもあるので、そこからくつろいでいく。集中していた
エネルギーを解放していく。そうすると心身がゆるんできて、非常にゆったりと落ち
ついたものになっていく。そして、この二つを統合させていく。これが重要な瞑想で
あり、シンプルではあるが、奥が深いといつも感じる。

ここで終わりでもいいのだが、フーマンは更に先があると主張する。それがハート
であり、ハートが開くことで、たゆまなく恩寵の光が降り注がれるとされる。本来は
常に恩寵はあるのだが、それをマインドが邪魔している。それをまずはクリアにして
いき、それからハートが開くと、たゆまない恩寵の恩恵を受けることができる。今回
はハートの瞑想の時間は少なかったが、気づきとくつろぎの時とは、また一味違う
感覚やエネルギーを感じた。

今回は体調があまりよい状態ではなく、瞑想をしづらいところもあったが、新たな気づき
が生じたし、終わってからは心身ともにすっきりしたので、参加してよかったと思った。

瞑想が終わってからは質疑応答だったが、今回は初心者の方も多く、瞑想に慣れて
いると出てこないような質問がどんどんでてきて、それを聞いていると逆に新鮮味を
感じた。自分では当たり前のようなことでも、初心者にとっては当たり前ではない。
それを説明するのは容易ではなく、主催者の人が困惑しながらも丁寧に説明されて
いるところを見るのは、とても参考になった。

来月はリーラスペースが主催する、二泊三日のリトリートがあるが、これにも参加し
ようと思っている。
最新記事
プロフィール

唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新コメント
最新トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。