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佐々井秀嶺


式典の最終日、広大な改宗広場を埋め尽くした数十万信徒を前に、中央ステージのど真ん中に立った佐々井は渋く低く響きわたる声で読経を始めた。
「ブッダン、サラナン、ガッチャミ(ブッダに帰依します)。ダンマン、サラナン、ガッチャミ(仏法に帰依します)。サンガン、サラナン、ガッチャミ(教団に帰依します)」

70歳が間近とは思えない声量だ。魂のこもる導師の祈りに促されるかのように、信徒も一斉に仏法僧への帰依を復唱した。次いで、佐々井はアンベードカル博士による「22の誓い」をヒンディー語で読み上げた。「ビシュヌ、クリシュナなどのヒンドゥー教の神々を信じません。ブッダがビシュヌの化身だとは信じません。人間を差別するヒンドゥー教を否定し、ブッダの教えを受け入れます」。ヒンドゥー教の教えを完全に否定する内容である。

締めくくりは「ジャイビーム(アンベードカルに勝利を)」の大歓声だった。期間中は改宗式も行われ、今年は3日間で約6万5千人が仏教に改宗した。 

佐々井は一昨年、インド政府に任命され、少数者委員会の仏教徒代表の要職に就任していた。4LDKの官舎と運転手付きの公用車が与えられ、携帯電話も支給された。委員会での佐々井の仕事は、宗教上の差別や人権侵害などの調停役。

チベット仏教派が歴代の委員を務めていた執務室には、ダライラマの写真を圧倒するように佐々井が持ち込んだアンベードカル博士の肖像画が飾られていた。

「色情因縁」つきまとう浪花節が好きな少年は出家して家族と絶縁した

シーク教徒代表の委員長室に佐々井が呼ばれた時だった。ヒンドゥー至上主義を掲げるバジバイ政権与党への選挙協力を要請された。部屋に戻るなり佐々井は怒った。
「『首相があなたを選んだお返し』を頼まれた。冗談じゃないよ。釈迦の誕生日をブッダガヤで祝っている時に核実験したことを後で知りオレは激怒した。官邸前でこの大バカヤロウと怒鳴りつけてやったやつだ。適当に濁しておいたよ」

政府の要職に就いても、政権批判を平然とするのが佐々井らしいが、それにしてもインドという国は摩訶不思議だ。佐々井が国籍を取得したのは、少数者委員会の仏教徒代表に就任するわずか15年前。一時は不法滞在で逮捕され国外追放される危機もあった。

13年前に佐々井の陣頭指揮で始まったブッダガヤの大菩提寺管理権の奪還闘争では、ヒンドゥー教過激派や州政府、中央政府さえ敵に回して立ち回ってきた。ブッダが悟りを開いた聖地がヒンドゥー化され、管理権がヒンドゥー組織に牛耳られている現状を正そうと立ち上がった。リーダーにとして当然の行動だった。

全インド5000㌔の大行進などで、「バンテージー・ササイ」の名が一躍インド全土に知れ渡った。政府は佐々井を敵に回すよりも内側に取り込んでしまえと思ったのかもしれない。

「インドはカースト制の弊害で、お互いに信用せず、足を引っ張り合う不幸な国。義理と人情と度胸がなければインドではやっていけない。武士道精神でやっている」と佐々井は度々口にした。古い表現が好きな人だ。

佐々井は35年に岡山県北部の山村で、左官業の長男に生まれた。一月半ば、佐々井の実家を訪ねた。狭い谷間に十軒少々の集落は膝まで積もった雪の中に静かに埋もれていた。山陽と山陰の分水嶺、鳥取県と島根県との県境にほど近い。

実家には佐々井の叔母が住んでいた。叔母は、佐々井少年は「外の柱に寄りかかって浪花節をよく歌っとった。お母さんもな、木や箒を三味線を引くように安来節を歌っていた」と懐かしんだ。

佐々井が「父も母も死にました」と言った母の澄子は健在で、松江の老人ホームで車椅子生活だった。92歳になっていた。
「25の時、私らほっておいて出て行きよる子だけえ。あんまり会いたいことはねえ」

出家後、佐々井は家族と縁を切った。親子は40年以上会っていない。

自伝を書いた山際は作家らしい表現で、佐々井の人生には「色情因縁」がつきまとうと話した。佐々井は、「私は罪深い男です」と切り出し、小学生の時の性交を告白したという。小学校の担任の先生に恋し、二人きりの時に乗りかかって先生のパンツを下ろそうとしたが、跳ね返されて未遂に終わったこともあるという。「坊主になったから余計罪深く思うんだろうね」と山際は言った。

「敗残者」に訪れた転機「祖師のお告げ」信じてインド仏教復興の地へ

佐々井少年は、人一倍繊細多感で自分の気持ちに正直だったようだ。16歳で上京し、25歳で出家するが、その間何度も家出と出戻りを繰り返す。些細な商売の失敗や色恋の悩みが病気をきっかけにした内向性に拍車をかけ、「人生の敗残者」の烙印を押す癖を生む。青函連絡船から飛び込もうとして船員に押さえられて自殺未遂に終わったこともある。

最後の家出で出家を果たした佐々井青年は、真言宗の関東総本山のひとつ、高尾山薬王院で得度、山本秀順貫首から「秀嶺」の法名をもらった。得度後も放浪癖はやまず、都内でプロの浪曲師や易者として生計を立てたこともある。秀順貫首は日本では生かす場のない佐々井の才能を見込み、タイに仏教留学に出した。

バンコクで再得度するが、寺で修行に専念する上座部仏教は性に合わず、女性問題で破戒僧になることを恐れ、逃げるようにインドへ渡る。

佐々井の人生最大の転機はここでで訪れた。インドへ入った佐々井は、ガンジーの非暴力不服従運動に共鳴した日本山妙法寺開祖の藤井日達を頼り、聖地ラージギルで1年間仏塔建設に汗を流した。帰国を前にした満月の晩だった。

「瞑想中に金縛りにあったんですよ。白髪の老人が目の前に現れ私は杖で肩をぱっと押さえられたんです。あなたは誰ですか、あなたは誰ですか、と叫ぶんだけども声にならんのですよ。『我は龍樹なり。汝すみやかに南天龍宮城に行け。南天龍宮城は我が法城なり、我が法城は汝が法城なり。南天鉄塔またそこにあらんか』。恐ろしくてね、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と5分間くらい唱えた」

身ぶり手ぶりを交え、興奮気味に話す語り口はベテランの浪曲師のようだ。龍樹(ナーガルジュナ)とは中国を経て日本に伝わった大乗仏教の祖師。仏教史の大学者による「お告げ」があったというのだ。荒唐無稽の作り話に聞こえるが、あながち嘘とは言い切れないのも確かだ。

兄弟子に相談し、単身向かった先が南インドの「ナーグ(龍)プール(街)」だった。その街こそが、アンベードカルによってインド仏教が復興された聖地だった。しかし、ナグプールは大改宗式から12年が経ち、アンベードカル没後はリーダー不在で、寺もなく僧侶もいない。そこに忽然と登場した、アンベードカルの名さえ知らない日本人僧が、団扇(うちわ)太鼓を叩きはじめた。

「仏教徒の家の3畳くらいの部屋。床に牛糞を引いた通路にゴザを引き、ペシャンコの寝袋で寝起きしてました。家の中で毎日団扇太鼓をバンバン叩いて『南無妙法蓮華教』とお務めしてました」

そう話すのは、33年前に初めて佐々井に会った神戸の明泉寺住職、冨士玄峰(61歳)だ。昨年からは京都の臨済宗南禅寺派の総務部長を務める。佐々井の生き方に惹かれた玄峰は、山際同様に佐々井の数少ない理解者となった。
 
貧しい仏教徒の中で、葬儀に結婚式、出産に命名式と、佐々井はどんな些細な頼み事にも出かけ、心を尽くして読経した。日本山妙法寺とは決別し、寄付を集め、寺を建て、アンベードカルの銅像を寄進した。

「仁義忠孝礼智信。彼らが慕ってくれるならば、命を捨てるがごとくにやってやるぞ」と話す佐々井は、ある時、移動中の車内で村田英雄の「人生劇場」を突然歌い始めた。気力が湧くという。

佐々井の説法に民衆はしびれたと玄峰はいう。
「上人は格好は汚いですが、信徒に見かけは関係ないんですね。女性がうっとりと聞き惚れるからね。
浪花節を聞かせてくれと注文されると、国定忠治や忠臣蔵を浪曲で聞かせ、即興でヒンディー語にしてやるんです。みんな大喜びですよ」 

昨年12月、マハーラシュトラ州から「ナーガブーシャン賞」が贈られた。授賞式で州首相は、「無償の奉仕活動が、仏教の平和と奉仕の精神をマハーラシュトラ州のみならず、インド各地に広めてきた」と謝辞を述べたという。

それに比べ、日本での佐々井のイメージは決して良いとはいえない。
 
佐々井はインド仏教徒巡礼者用の宿泊施設をブッダガヤに建てる計画の委員長となったが、工事は途中でとん挫した。玄峰の働きかけで神戸市仏教連合会が500万円の寄付を集めて送った。高尾山など真言宗の関東三山からも1-2千万円の支援が集まっていた。

「失敗の原因は十分な計画性に欠けていたことです。ヒンドゥー組織の妨害もあり、だまされてしまったんですね。こちらは具合悪いですよ。あの500万円はどないなったと言われますからね。上人は懺悔はする。でも説明がないんです。そういうところが一番マイナスですね。」

佐々井の「いい加減さ」には幾度か尻拭いをさせられてきた玄峰だが、「蹴られても殴られてもついてゆく女みたいなもんですね」と、苦笑いした。惚れ込んだ男に対する信頼と期待は揺るぎない。「日本では悪名高き男として知られています」は佐々井の口癖。数少ないが強力な支援者を黒沢映画にたとえ、「私には7人の侍しかおらんのですよ」と言った。佐々井が日本仏教界から評価されない理由を玄峰はこういう。

「日本の坊さんは宗派根性が染み込んでますから。それにアンベードカルの仏教は本当の仏教ではないと権威のある学者が結論づけたことも影響してます。インドの同和問題だと見てきたんですよ」

昨年、インド仏教徒のバイブルとさる、アンベードカル著『ブッダとそのダンマ』が復刊され、佐々井の解説文が話題になった。アンベードカル批判に対し、「うつけ者!」と叱責したのだ。「ブッダこそが差別に反対し平等を説いた」と解説するアンベードカルに現代のブッダ像を重ね合わせる下層民衆の心情を、いつまでも理解しない仏教界に対し噛みついたといえる。

「批判的態度だけで、彼らの立場を理解しようとする姿勢がない。見ようとしても見抜けないだろうと言ったんです。アンベードカルの坊さんについての見解は、下層民衆のために尽くす、あるいはインドを導いてゆく。だから僧衣は社会奉仕家としてのユニホームなんです」
そう話す佐々井の生き方は、日本の坊さんよりも大乗仏教的にみえる。

仏教遺跡発掘に賭ける「現代のシュリーマン」永遠の求道者の旅は続く

いま佐々井は全エネルギーと資力を注ぎ込んだ大きな賭けに出ている。龍樹が真言密教の教義を授かった「南天の鉄塔」を発掘しようとしているのだ。龍樹に遣わされた使命だと任じ、ナグプール郊外にある龍樹連邦周辺のマンセルに広大な土地を確保した。民間人としては前例のない発掘許可を政府から取り付け、7年前から遺跡の発掘を始めた。マンセル遺跡からは、世界遺産級の壮大な仏教寺院と仏塔の複合的構造物が掘り出され、日本の密教研究者からも注目されている。遺跡の発掘は仏教徒の誇りともなる。マンセルから350㌔離れたシルプール遺跡で発掘された仏教寺院は、「ササイ・ブッダ・ビハーラ(佐々井仏教寺院)」と正式命名された。

「上人は表面は行き当たりばったりですが、陰で緻密に勉強していますよ。現代のシュリーマンみたいな人。きっと龍樹の南天鉄塔をを発掘します」そう玄峰は期待している。

取材を切り上げ帰国する日だった。

「私はアンベードカルの後継者と考えたこともありませんよ。後継者はアンベードカルの血が流れているインド人でなければダメなんです。私は永遠の求道者としての旅路の途上です。滅亡の旅路に向かって生きてゆきます」

目の前には、朱色の僧衣の胸元を汚しながら入れ歯でトーストをほおばるおじさんがいた。仏教徒の前に全てをさらけ出し、なおかつ心眼で評価されているバンテージー・ササイ。聖と俗の同居する個性が発揮されたインド社会は奥が深い。いま頃、佐々井はどこかで口ずさんでいるのではないか。「やーると思えばどこまでやるさー、そーれが男の・・・・・」

「アエラ」(2005年2月21日号掲載):現代の肖像:佐々井秀嶺 インド仏教のリーダー1億人導くバンテージー



インド仏教のリーダーが、日本人であるとは驚きである。インドで仏教はマイナーであるが、佐々井秀嶺師の元で何人ものインド人がヒンドゥー教から仏教に改宗したりするという。少々激しいところはあるが、佐々井秀嶺もまた普通のおじさんのように見えるらしい。

日本仏教界も形骸化しているが、このような活動をしている人こそ、真の仏教徒であると言えるだろう。そういった人物を評価しないようでは、どうにもならないのではないか。

佐々井秀嶺のことはテレビでも放映されたらしい。知り合いが録画しているようなので、ぜひ見せてもらいたいと思う。このような人物こそ、本来は世にもっと知られる必要があるのだろう。だが本物は得てして知られないものであり、まがい物がはびこる時代でもある。
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以前神戸の神戸青年仏教徒会(神戸JB)の主催する、仏教塾に通わせていただいていました。非常に有意義で貴重な時間を過ごさせていただきました。そのときの釈迦の生涯を教えていただいた、
冨士玄峰先生の授業で佐々井秀嶺さんのお話もうかがい、先生の語る情熱のこもったインドのお話に
感動いたしました。でも冨士先生の授業もあっけなく終わってしまいました。それは先生が自分の言葉、自分で作ったと語っていた言葉が、他の仏教者が作った言葉だったからです。それを受講している生徒に糾弾され、先生はやめられてしまったということです。わたしもその詳細を聞いたとき非常に残念な気持ちになりました。

虚言は糾弾されてしかるべきです。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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