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見つめ明らかにする

坐っていると、ありとあらゆる思考が心に生起するのに気づくようになります。途切れることなく車が騒々しく往来するかのように、あるいは泉からぶくぶくと泡が湧いてくるような、延々と続く心の内のおしゃべりとでもいいましょうか。このとき、どんな考えが浮かんでもそのまま自由にさせておくことが大切です。- 健全な思考もそうでないものもです。その思いをさらに強くしたり抑えつけたりしようとしてはいけませんし、価値判断をするのもだめです。そんなことをすれば火に油を注ぐようなもので、さらにさまざまな思いが連鎖反応のように広がってしまうのです。ただ単に思考を観察するのです。そうすれば泡が浮かんではまた水のなかに消えていくように、とりとめのない思考の流れはただ心のなかに浮かんでは、また消えていくはずです。

次第に、心の内のおしゃべりの合間に、単なるすき間のように感じるものがかすかに現れるようになります。- 具体的な、これといった内容のない心の状態です。初めはほんの一瞬の体験です。しかし、訓練を積むと、ありのままの思考の行き来のあいまの、こうしたすき間の時間を徐々に長くしていけるようになります。ここまで来れば、仏教でいう「照らし明らかならしめ、そして知らしめるもの」という意識の定義を経験的に理解する絶好の機会です。このようにして、瞑想を実践すれば意識というものの基本的な経験を「つかむ」ことができるようになりますから、さらに進んで意識そのものを瞑想による探求の対象にしていくことも可能になるのです。

ダライ・ラマ 科学への旅 原始の中の宇宙より



瞑想したり、それでなくても意識が内側に向かうと、ありとあらゆる思考が次から次へと浮いてくる。よく瞑想していて雑念だらけであるという話があるが、これは別に悪いことではない。そのことに気づくことがまずは大事である。

こういうときに、得てして人は雑念や想念などに何らかの操作を加えたくなってしまう。否定したり、押し込めようとしたり。しかし、そういうことをしても、逆に強く出てきてしまうものである。そうではなくてただ静かに見つめていると、次第に静まってくる。これはやってみなければわからないことだが、水をかき混ぜても次第に静まっていくように、ただ見つめていれば心も静まってくるものである。

更によく心を観察していると、思考と思考の間のすき間に気づいてくる。これは注意深く観察していないとわからないが、こういったことを繰り返していると次第に認識してくる。その時間は短いものだが、次第に長くなってくる。

普段私たちは自分の心を理解していないが、こういった実践を繰り返すことで、次第に明らかになってくる。そのことによって色々と気づきが生じ、理解が深まってくる。たゆむことなく、しかし力むこともなく、見つめ続けていくことが大切だと感じる。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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