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わけがわからない内容でも楽しめるものだ

私は一人で映画を見に行くのが好きだが、子供の頃はそんなことができるはずもなく、親や親せきと行くか、友人と共に映画館に行っていた。70年代後半にはいわゆるSF大作が多く封切られ、その代表だったのが「未知との遭遇」と「スターウォーズ」だった。どちらもアメリカで同じ年に封切られ、翌年日本でも公開された。どちらも大評判となり、大きな話題になっていた。私は「未知との遭遇」を親戚のおじさんに連れて行ってもらい、「スターウォーズ」は友達と一緒に見に行った。「スターウォーズ」は子供にも面白く、その時の衝撃は今でも忘れられない。対して「未知との遭遇」は、小学生には少しわかりにくく退屈だった。それでもラストの30分ほど、人類と異星人との邂逅の場面は印象深く、マザーシップが登場してからは圧倒されていた。「スターウォーズシリーズ」は、その後にも全部みてしまい、「未知との遭遇」大人になってから改めて見ると、とても面白かった。


「スターウォーズ」を単なるSFや冒険活劇で、単純な勧善懲悪ものと思っている人も多いかもしれない。しかしその背景には神話がある。「スターウォーズ」は新たな神話である。これは私が勝手に言っていることではなく、「スターウォーズ」の監督であるジョージ・ルーカスが言っていることである。 スターウォーズの神話学 前編  後編  「スターウォーズシリーズ」が未だに多くの人に愛され、歴史に残るものとなっているのは、面白い映画であることは当然として、実は奥深い作品であるからである。スピリチュアルなことに関心がある人は、「マトリックス」を大抵見ているが、なぜか「スターウォーズ」を見ている人が案外少ない。それは「スターウォーズ」が新たな神話であり、神秘的な物語でもあることを知らない人も多いからだと思う。


「未知との遭遇」は宗教映画という感想をいだく人も少なくない。異星人との遭遇、マザーシップ降臨の場面では、神々しさすら感じられる。スピルバーグもそれを狙っていたのではないかと個人的には思う。日本人のほとんどは気づいていないが、ハリウッド映画は宗教的な要素を盛り込んでいるものが多く、「未知との遭遇」は直接的に宗教を描いていなくても、宗教的な感覚を観客に呼び起こす。「未知との遭遇」を見て、前半は退屈した人でも、最後の30分は肯定するにしろ否定するにしろ、強烈なインパクトがあるだろう。映画には見ている人の深層心理に強い印象を与える。それは時にはスピリチュアルなものでもある。映画は総合芸術であり、トータルに人の心理に影響を与えうる。


そしてSF映画の金字塔といえば、「2001年宇宙の旅」であり、「スターウォーズ」と「未知との遭遇」はリアルタイムで見たが、2001年は公開されたのは私が生まれる一年前なので、リアルタイムでは見ていない。ビデオやDVDで何度も見たが、ストーリーはわかりやすいとはとてもいえない。いやそれどころか多くの人がさっぱりわからないという感想を抱くだろう。私も何度2001年はさっぱりわからない、という声を聞いたことか。そのわかりにくさは、説明がほとんどないという点が大きい。ラストは何の説明もなく主人公の乗っている宇宙船が光のトンネルに入り、しばらくその中を移動していき、老いて病んでいき、最後はスターチャイルドとなって地球を見るカットで終わる。「これはいったいなんなのだーーーー?!」と見た人のほとんどが思うだろう。しかし私は光のトンネルは内面の旅であり、主人公は生老病死を体験し、最後は再生したのだと解釈し、わけがわからないということもなく、深い余韻に浸った。これは私個人の解釈であり、これが正解というつもりはない。監督のキューブリックには明確な意図はあったようだが、説明がないのでそれは映画を一度見ただけではわからない。それはそうとしてわけがわからない映画でも深層心理に強いインパクトを残し、楽しむこともできる。だから私は一見わけのわからない映画も好きだし、それを大いに楽しんでいる。


今月「エヴァンゲリヲン 新劇場版 Q」を二度見た。一度目は映画の日に一人で、二度目は知り合いが見に行きたいというので、一緒に見に行った。私はエヴァの長年のファンであり、非常に評価している。その一方でわけがわからない、という人たちがいるのもわかる。それは監督の庵野秀明が説明を作中であまりしていないからである。エヴァ好きの知り合いとも話したが、説明がされていないところは、「なぜそうなのだ?」と聞かれても答えようがない。監督に聞いてくれとしか言いようがない。という共通の見解だった。一緒に見に行った知り合いは、映画を見終わってから話を聞いてみると、途中までは何とかついてこれたが、最後の方はもうわけがわからない。と少々憤慨していた。私がこれはこういうことだと説明できる範囲で説明したが、それでも納得が言っていない様子で、あまりにも説明が足りなくて不親切だと言う。その感想も致し方がないだろう。


しかし私はストーリー的にまるで補完されていなくても十分に楽しむことができた。映画館で映画を見ると映像と音の迫力がものすごいが、それに良い意味で圧倒される。エヴァの新劇場版では映像が非常に進化しており、見ているだけで変性意識状態になる。私はそれだけでも十分に楽しめる。そしてこれは監督の意図していることではないだろうが、私はエヴァで覚醒のプロセスを描いていると感じた。


劇中でも覚醒という言葉が使われているが、それは精神的や霊的に覚醒したという意味で用いられているわけではない。しかし私はそういう意味での覚醒のプロセスが描写されているととらえた。エヴァが覚醒し、フォースインパクトが起こりそうになる。その時に天が開き七色の光が輝く。そして外界は大きく破壊される。霊的な覚醒において、頭頂が開き光が輝く体験がある。そして内面が大きく乱れ、今までの自分が破壊されていくような感じがすることもある。これはあくまでも途上であり、本当に覚醒してくると特別な体験もなくなり、内面も静かになるが、途中のプロセスとしてはそのような体験を通過していくこともある。庵野秀明は何らかの覚醒体験といえるようなこと、霊的と思われる体験をしてはいるのだろう。そうでなければあれだけの映像や音を表現することは不可能である。


余計な説明を入れないことで、イマジネーションは広がっていく。限定された世界にとどまらず、自由で広がりのある世界が展開される。そもそも理解できないというのは思考の世界であり、思考を超えてしまえば理解できるできないという二元から解放され、ただそこには言葉では言い表せないものが残る。優れた映画はそれを体験できるものという見方もできよう。このことをもっとうまく論理的に表現できる人もいるかもしれないが、今の私はあまりそういう方向い意識が向かわず、ただただすごいものはすごいとしか言いようがない。ただし映像がただすごいとかそれだけで思考を超えたところに到達できるわけではない。背景に何らかのスピリットがあって初めてそのような至高体験をすることができる。


本当に覚醒してくると、一切が明らかになってくるだろう。しかし、その全段階として「何が何だかわからない」という感覚も大事だと思う。そこを通過して初めて全てが明らかになってくるのだと思う。「何だかわからない」という感覚を人はないがしろにしがちだが、その中にこそ叡智が潜んでいることも少なくはない。そして優れた映画はそれを喚起させるものであり、そういう映画こそ後世にまで語り継がれるだろう。それはヒットしたとかしないというのは直接の関係はない。そのような映画に巡り合えるかどうかも、その人の感性によって決まってくる。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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