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実践し本質を掴み取る

世の中にはいろいろと立派な教えがあります。仏教もキリスト教もわたしは優れた教えであると思います。そういった知識を膨大に蓄えている人もいます。学者などはその典型でしょう。

また、宗教や哲学等の分野でなくても、口で非常に立派なことを言う人もいます。しかし知識が膨大にあったり、口だけで立派なことを言っていてもあまり意味はありません。大切なことは実践をしているかどうかです。

どんなに素晴らしい教えがあったとしても、それを実践しなければ、何の力も発揮できません。

「腹の空いている人に、食べ物の話をしてやっても、腹はいっぱいにならない。
それと同じように、ダルマをただ知っているだけで、実行に移さないのなら、何に意味もない」

これはチベットの偉大な聖者ミラレパの言葉です。知識は少なくても、しっかりと実践し、知識を生かしている人の方が、膨大な知識があっても全く実践せず、知識が生かされていない人より、ずっと優れていると思います。

そして、きちんと実践できるかどうかは、一般的に言われる頭の良さはあまり関係ありません。私の知り合いに医者の人がいて、瞑想などを指導していました。医者になれるくらいですから頭の良い人ですが、自分はこうだと決めたから、このようにすると言い張り、まあそれが間違った方向に行かないのであれば別に問題ないのですが、誰が見てもその決定が誤った方向に進んでしまうのが明白なので、いろいろな人が説得したのですが、どうしても聞き入れてくれませんでした。実に残念なことでしたが、一般的な賢さと、精神の探求を正しく実践できる
ことは違うのだと改めて感じました。

日本では知識を多くすることに価値が見いだされすぎているように思えます。知識自体は少なくてもいいから、使いこなせる知識がどれだけあるかが大切ではないかと。そして、知識より大切なのは知恵ですが、知恵を磨くことがなおざりになってきているのではないかと思います。

チベット仏教には主に4つの派がありますが、その中で最も勢力を誇っているのが、ゲールク派です。この派の特徴は教えを学んでいくことに重点が置かれます。これはもちろん大切なことですが、瞑想を行う僧が減り、実力のある僧が減ってきているようです。やはり瞑想などの実践を行わないと、本物ではないということです。

日本では仏教がある程度定着していますが、本質が失われているのではないかと思います。聞いた話だと全然修行をしない僧も多く、銭もうけの方に関心がある。最近ではきちんとした講話をしてくれる僧よりも、葬儀をきちんと手際よくやってくれる僧の方が需要があるようです。そして、一般の人よりも僧の方が煩悩が強いのではないかという話もいろいろあるようです。

こういう人たちは仏教の教えの知識すらもあまりないかもしれません。まして実践しているかと言えば、全くできていない。また日本には仏教学者も多いですが、知識はおおくあるでしょうが、エゴが強く、とても仏教の教えを実践しているとは思えないような感じがします。これも聞いた話ですが、教えを実践したり、瞑想をしたりという学者はほとんどいないようです。

本当に必要なことは本質を学びそれを実践することです。たくさん知ることよりも、本質をつかみ取ることが必要なのです
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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