スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

夢、夢のあと

私はその時いた場所では、何か不穏な空気に包まれていた。いつもはそこにいない者達がいて、そこの雰囲気を著しく阻害していた。私は何か厭な予感がした。そいつらはまるでテロでも企てようとしているのではないか、という波動を出していたのだ。


そして私はそいつらに呼び出され、ボスらしき人物の前に連れて行かれた。ボスらしき男は半裸のスキンヘッドで、とても引き締まったマッチョな体をしていた。益々厭な予感が強まっていると、私を連れてきた男が、ボスに体を提供するように言ってきた。


それを聞いたとたん、様々な思考が瞬時に駆け巡った。「これはまずいことになった」「しかし、無理な抵抗ができる状況ではない」「肉体的に痛いだろう」「何よりも精神的な屈辱感はどれほどのものか?」しかしそれらの思考が瞬間的にふっと止まり、私にある気づきが訪れた。


「これは夢だ」


その瞬間、私の意識は仕事場の仮眠室に戻ってきた。それは私が仮眠中に見た夢だったのだ。夢と気づいた瞬間、今まで駆け巡っていた思考や感情は跡形もなく消え去った。そして私はまた仮眠をとり、今度は夢も見ることなくぐっすり寝た。


夢の中では、完全にそれが現実となっている。いかに支離滅裂であっても、それを受け入れてしまう。そして多くのケースでは、夢の中で「これは夢だ」と気づくことはあまりない。しかし私はまれに気づくことがあり、大概はそこで目が覚める。中には夢の中で夢を認識し、夢をコントロールする人もいる。私はその経験はあるが、それよりも目が覚めてしまうことの方が多い。


夢の中ではまさにそれが現実で、夢から覚めると「ああ、夢だったんだ」とほっとしたり、もっとその中にいたかったと、私たちは感じる。しかし、夢を夢と認識する経験をな何度も行うと、果たして普段目覚めて現実と思っているこの世は果たして本当に現実なのだろうか?という思いが生じてくる。


実際のところ、私たちは普段覚醒していると思っていても、まだ眠っているようなものである。肉体や思考や感情といったものにとらわれ、来ては去っていくものに心を奪われている。「これが私だ」と思っていることが実はそうではなく、本当の私に気づいてくると、私たちが普段でも夢を見ている状態にあることがわかってくる。


本当の私に気づくのは、本来は難しいことではないが、あまりにも普段の思考や感情にとらわれている私たちにとって、それは容易なことではなくなってしまっている。少なくともそれは複雑怪奇なことではなく、ごくシンプルなことである。だが「私はこうである」「私はこれこれである」という思いが強すぎて、それがそうは感じれなくなっている。


本当の私に気づこう気づこう、と思いこんでもなかなかうまくはいかない。それもまた思考の産物であるからである。無理に思いこむのではなく、普段「これが私だ」「私はこうだ」という思いに疑問を持ってみるのがまずはいいかもしれない。瞑想などを行うのが気づきの手助けにはなるが、誰でもすぐに取り組めるものではない。その点睡眠中に夢を見ることは、多くの人がしていることであり、夢の中では現実そのものというのは、夢を見れば誰でも体験する。こういうところからも気づきは生じてくる。


ただし、この世は夢なのだから何をしてもいいとか、所詮はかないものだと厭世的になるのはまた違う。それではやはり思考や感情に取りつかれている。夢にも現実にもとらわれず、ただ在ればそれでよい。
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

最新記事
プロフィール

唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新コメント
最新トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。