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個人の意図と能力を超えて

昨日知り合いの方から、「今は個人の意図や能力を超えたところで、集合的レベルで物事は起きているみたい」といったメールをいただいた。私もそのような気がする。


近頃は一人で座っていても、何人かの人と一緒に座っていても、以前とは違う状態にある。時間がすぐに過ぎるし、座っていることが苦痛ではなく、単に楽というのでもなく、それが自然であり、ただそこに在るという感じである。今までは何かを得ようとして座っていたが、今ではこうだからこうしよう、というのではなく、ただ自然にそこに在る、としか言いようがない。


まだ常に100%そういう状態ではないが、そうである時間が長くなってはきている。そしてそれは私だけではなさそうで、それそのものに在る人が少しずつ増えてきているように思える。単にそう思い込んでいる人もいるだろうが、思い込みではない人も増えているだろう。


そのように在ることができるのは、外側から来る恩寵や祝福といった要素もあるだろう。しかし、最も肝心なことは、私たちが本来はすでにそれであるということであり、そのことに気づけるかどうかが鍵である。そして恩寵や祝福というものは、自分を閉ざしていては受け取ることもできず、開かれていくことでそれを受け取れる。恩寵や祝福は常にそこにあるが、私たちが閉ざされていては、そのことに気づくこともなく、何も得ることはない。


そして開かれていても、気づきがなければ、今ここにただ在る、という状態ではない。根本の気づきがとても大切であり、それがないと闇に覆われてしまう。そこには真の光も届くことはない。


気づきが確立し、意識が鮮明となり、深いところから寛いで、境界がなくなてくると、私たちは偽りの自分ではなく、本来の自分が現れてくる。そうなると常にそこにある恩寵が絶え間なく注がれるようになってくる。そこには個人の意図や能力といったものが介在する余地すらなくなってくる。


真実の自己に目覚め、恩寵を受け取ることができる人が、これからどれだけ現れるか、期待をしすぎてもいけないが、楽しみでもある。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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