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自然発生的に

多くの人は世の中に不満を抱いたり満足もしたりしつつ、なんとなく生きている。しかし、中にはそういうことに疑問を抱く人もいる。そして、「気づきたい」とか「目覚めたい」と思うようになり、それを外側に探し求めようとする。私もかつてはそれをずっと行い続けてきた。だが実際のところは、外側に求めてもそれを得ることはなかった。それはすでにそこに在ったということに気づくと、解放されていく感覚が生じた。


目覚めるにはグルの存在が不可欠である、という考えは根強く存在する。そして有名な人のところに多くの人が行く。しかし、有名であることと本当に目覚めていることとは、絶対的な因果関係はない。世に知られていなくても、目覚めている人たちはいる。私の印象では、なまじっか世に知られている人よりも、あまり有名でない人たちの中に本物がいるような気がする。もちろんこれとて絶対的なことではない。


近頃は「この人は目覚めてきているな」とか「この人は本当のことを理解しているな」と感じられる人と接していると、気づきや広がりといったものがこちらに伝わってくる。お互いに沈黙していても、全く違和感がない。そこにはどちらかが師匠でどちらかが弟子という関係性は存在しない。お互いに対等な関係である。今まではカリスマ的な指導者がいて、それに盲目的に従う人びと、という図式があったが、それが徐々に崩壊していくのではないかと思う。


「私はこれこれの教えを実践している」「私は誰誰という人に教えを乞うている」という人は多い。もちろんそれはそれでいいのだろう。しかし、あまりにも自分の実践していることや、自分の師匠にこだわりすぎてしまうと、それがかえって目覚めの障害となるように近頃は感じられる。私もそういうことに対するこだわりがものすごく強かったが、それらを手放してしまった方が楽になり、目覚めも起こりつつあることを感じる。時代は変わりつつある。


特定の人物から指導を受けて目覚めていくのではなく、自分の中で目覚めが起こっていき、それを同じような体験をしている人たちと共有していき、それが自然に広まっていく、そのような時代が訪れてくるような気がする。
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まとめtyaiました【自然発生的に】

多くの人は世の中に不満を抱いたり満足もしたりしつつ、なんとなく生きている。しかし、中にはそういうことに疑問を抱く人もいる。そして、「気づきたい」とか「目覚めたい」と思うようになり、それを外側に探し求めようとする。私もかつてはそれをずっと行い続けてきた。...

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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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