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ボディワークの講習にて

本日は昨年末から習っているボディーワークの講習に、約一カ月ぶりに参加した。当直明けで直接会場に向かい、睡眠時間もあまり取れていなかったので眠くてしょうがなかったが、いつものごとく色々と学べることも多かった。


毎回いくつかの発見があるが、今回も自分にとって貴重な気づきがあった。習っているボディワークではいくつかのテクニックがあるが、その中で親指を頭の二か所に当てるというものがある。頭蓋骨は一つの塊ではなく、いくつかの骨が組み合わさって構成されているが、その継ぎ目に指をあてる。そうするとただ指を当てているだけで、頭骨のゆがみが調整されてくる。これはなぜそうなるかと言われても、これこれこうだからと説明することは私にはできない。そして頭骨が調整されてくると、心身共にすっきりとして心地よい。


指をポイントに当てられている時に生じる反応は様々で、私は眼球が著しく動いた。これは多く見られる反応のようである。私は眼が疲れやすいが、眼球が動くことで疲労も回復する気がする。動くことで調整されているのだろう。人によってはすぐに眠ってしまう。これはリラックスするからではないか。人体というものは神秘に満ちている。


このテクニックを教えてくれた人は、これはボディワークのテクニックだが、エネルギーワークでもあると言っていたが、私もそのように思う。エネルギーを流そうと意図しなくても、頭のポイントに指を当てていると、勝手にエネルギーワークをしているのと同じ感覚が生じる。その時は相手との一体感がある。この一体感は好きな人と一緒にいて一体感を感じたりとか、そのようなレベルのものではない。もっと根源的なものである。その時は思考や感情や相手に対する愛着などではなく、今ここにあり慈愛が生じることもある。


自分と他人の区別は本質的には存在しない、という見解があるが、これは頭で理解するものではなく、このような体験を通じて真に理解するものであろう。そして氣やエネルギーの体験にとらわれる人も少なくないが、至福に満たされたり、相手のことをコントロールできたり、といった体験よりも、このような分別がなくなっていき、真の慈悲が生じてくるという体験こそが本当に大切なことである。目覚めることと劇的な神秘体験を同一視する人もいるが、それは関連性のあるものではなく、心が静まって生じる一体感や二元を超えていくといったことが真の目覚めに通じるものである。


このことに今日は改めて気づかされた。帰りの電車で今まで以上に気づきが深まっていったのがわかった。頭骨が調整されて、バランスがとれたおかげかもしれない。精神のバランスをとることはもちろん大切だが、肉体もまたしかりである。どちらも目覚めていくのに必要不可欠なものである。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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