スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

執着から苦しみが生じる

それでは、人々の憂い、悲しみ、苦しみ、もだえはどうして起こるのか。つまりそれは人に執着があるからである。


富みに執着し、名誉利欲に執着し、悦楽に執着し、自分自身に執着する。この執着から苦しみ悩みが生まれる。


初めから、この世界にはいろいろの災いがあり、そのうえ、老いと病と死とを避けることができないから、悲しみや苦しみがある。


しかし、それらもつきつめてみれば、執着があるから、悲しみや苦しみとなるのであり、執着を離れさえすれば、すべての悩み苦しみはあとかたもなく消えうせる。


さらにこの執着を押しつめてみると、人びとの心のうちに、無明と貪愛とが見いだされる。


無明はうつり変わるもののすがたに眼が開けず、因果の道理に暗いことである。


貪愛とは、得ることができないものを貪って、執着し愛着することである。


もともと、ものに差別はないのに、差別を認めるのは、この無明と貪愛とのはたらきである。もともと、ものに良否はないのに、良否を見るのは、この無明と貪愛とのはたらきである。


すべての人びとは、常によこしまな思いを起して、愚かさのために正しく見ることができなくなり、自我にとらわれて間違った行いをし、その結果、迷いの身を生ずることになる。


業を田とし心を種とし、無明の土に覆われ、貪愛の雨でうるおい、自我の水をそそぎ、よこしまな見方を増して、この迷いを生み出している。


華厳経より




仏典を読むとハッと気付かされることがよくあります。それは本質を突いているからでしょう。人によってはきつく感じるかもしれません。執着から苦しみが生まれるというのは、なかなか認めたくないという人もいるでしょう。執着することは喜びであり、それのどこが悪いのかと。しかし、この世のものは移ろい儚いものですから、執着しても必ず苦しみが待っているのです。それがわからない、認めたくないのは根本に無明があるからです。眼が開いてくればそれがわかってくるでしょう。


ここで取り上げているのは「華厳経」であり、大乗仏典です。大乗仏典は釈迦の説いたものではないからまやかしである、という見解の人もいますが、ここに説かれていることは初期仏典で説かれていることと何ら変わりなく、私は大乗仏典もやはり基本的には釈迦の教えが根本となっていると思います。どの経典が優れていて、どの経典は偽物である、ということに意識を向けるより、それぞれの良い要素をしっかりと取り入れていく方がよっぽどいいと思われます。自分の信じているものの優位性を主張したり、それ以外のものを排斥している場合ではもはやありません。
スポンサーサイト

trackback


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

まとめteみた【今ここにある】

それでは、人々の憂い、悲しみ、苦しみ、もだえはどうして起こるのか。つまりそれは人に執着があるからである。富みに執着し、名誉利欲に執着し、悦楽に執着し、自分自身に執着する。この執着から苦しみ悩みが生まれる。初めから、この世界にはいろいろの災いがあり、その...

コメント

非公開コメント

最新記事
プロフィール

唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新コメント
最新トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。