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瞑想リトリートにて 2

瞑想リトリートでは気付き、寛ぎ、ハートの要素がより深まったが、それ以外にも大切なものがあった。これら三つを深めていくために、浄化をともなう必要がある。内面を深めていくにも、肉体や思考や感情にとらわれていては、なかなかそれをしていくこともできない。それにはまずある程度の浄化をしていくことが必要になってくる。

浄化を行うテクニックとしていくつか存在するが、身体を動かしたり、激しい呼吸を行ったり、大きな声を出すことはとても有効だ。静かに沈黙の中にある瞑想も多く行ったが、合間には激しくアクティブな瞑想も実践していった。激しく呼吸し、身体を激しく動かしながら大声を出したり、泣いたり笑ったりしていると、大きなカタルシスが起こる。これは全身全霊をこめて行うから効果があり、妙に冷めていると効果がないどころか、周りが発散したものを受け取ってしまうことになり、逆効果となってしまう。私はそういう実践に慣れているから、冷めてしまうこともなく、またテンションを上げすぎてしまうこともなく取り組んでいった。

私は声が大きいので、大声を出しているときはきっと会場全体に響き渡っていただろう。もっとも周りの人たちも一様に大声をあげていたので、私だけが目立ってしまうことはない。冷めてしまうと自分は何をやっているんだとか、周りの連中は何てことをしているんだという思いに襲われてしまうが、私はすぐにその中に没入していき、何も気にすることなく全力で浄化に取り組んでいた。

それにしても、10数人が暗い会場の中で、大声を出したり、身体を激しく動かしているいる姿は、客観的に見れば異様な光景であろう。私は完全に変性意識状態に入ってしまうと、そのあたりをふらふらと動き回りながら「うぉりゃーーー」とか「ほーほー」とわめき散らしていた。その姿を冷静に見るならば、狂ってしまったとしか思えないだろう。しかしそれは私だけでなく、他の人たちも似たような状態であり、集団で狐付きにでもなったかのごとくである。狐付きと違うのは、気付きがどこかしらに残っているかどうかであるが、一皮向けば人はみな狂っているものだということが実感された。

ほとんどの人は自分の内面を深く見つめることもなく、己の中にあるドロドロ、グチャグチャとしたものを理解することはない。そういったものをできるだけ見たり感じたりしないように、固い鎧を身にまとっているようなものだ。しかし、ずっとそうしていると段々内面の問題が強固なものとなっていき、にっちもさっちもいかなくなってしまう。今は世界的に多くの問題が噴出しているが、それらは個々人の抱えている闇があらわれだしているが故のものではないかという気がする。もっと多くの人が自分自身を見つめ、内面の浄化を行うことが必要とされていると感じる。

カタルシスがきちんとした形で起こると、心身が本当に芯からリラックスしてくる。そして物事の理解が深まることがある。リトリートの二日目だったか、大騒ぎをしたあと歓喜の踊りをしていると、大いなる実存を実感し、心の底から感謝と至福に満ち溢れた。これは緊張していたり、何かにとらわれていると決して体験できないだろう。リトリートの大きな効果として、内面の浄化は大きなものである。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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