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沈黙のスペース

沈黙の○○というと、関西弁をもあやつるごついアクション俳優が出て来る映画みたいだが、もちろん今回アクション映画の話をするわけではない。ちなみに私は一連の沈黙の○○シリーズはほとんどみたことがないが、主演俳優は武道を本格的にやっており、そこらのアクション俳優などとは比較にならないほど、本当に強いのではないかと思う。

マインドは常に動き回っており、黙っていることがほとんどない。これは瞑想をしたり、静かにして内側を見つめていればよくわかることである。私も瞑想を初めてすぐのころは、次から次へと雑念がわいてきて、それに翻弄されてばかりだった。そのことを瞑想ができていないと多くの人が感じてしまうが、それが必ずしも悪いこととは言い切れない。己を知るためにはそのことに気付くのが不可欠である。

多くの人が内面を見つめることがないから、マインドが常におしゃべりをしていることに気付くこともない。それが内面に意識が向くことで、どれほどマインドが動いているかを理解する。そして最初は翻弄されながらも、段々マインドのおしゃべりに巻き込まれなくなっていく。このことがとても重要となる。

マインドの動きも来ては去っていき、そこに同化しないでいると、冷静に眺めていることができてくる。やがて来ては去っていくものの背景にある沈黙のスペースがあることに気付き、それが本来の私であるということを体得していく。それは思考によるものではなく、思考や感情の背景にある。

私たちの意識は常に外側を向いているので、このことに気付くことが難しくなっている。まずは内面に意識のベクトルを向けなおし、マインドの動きを認識する。そしてそれに巻き込まれないようにしていき、思考や感情の背景にある沈黙のスペースにとどまる。瞑想はそのためにとても有効な実践であるが、それは座ってじっとすることだけではない。それは常にあるものだから、座って瞑想するときだけに生じるものではなく、日常においてもそこにとどまることは可能であり、それができてこそ座って瞑想することの意義がある。座って瞑想するときだけに沈黙のスペースにとどまり、それ以外では忘れてしまうのはまだ途上である。

まずは内面に意識を向けることが必要だが、いきなりこれをやるととても苦しかったりする。そこでまずは心身を浄化するテクニックが数多く開発されてきた。一般的なヨーガのイメージである身体技法や、セラピーと瞑想を融合させたテクニックも数多くある。このような実践は特にマインドが複雑になっている現代人には非常に有効であると思うが、カタルシスを体験してそこで満足してしまう人も多いようであり、それは片手落ちであろう。すっきりと浄化されるのはいいが、そこから沈黙のスペースを見出し、それとともにあるようにしていくことで本来の自分に戻っていけるが、重荷を下ろしてそこで満足してしまう例が多く、それはそれで意味があるかもしれないが、それで終わったらもったいないと私は感じてしまう。

沈黙のスペースにあることは、それのどこがいいのだと感じる人も多いだろうが、外的なものに左右されずそこにあることがどれほどの価値があるものか、それを言葉で完全に表現することはできず、体験していかないとわからないものではある。しかし、それを体験していくと、頭での理解ではなく、「これでいいのだ」といった腑に落ちる状態となる。そしてそれは過去に生じたものではなく、未来に生じるものでもなく、今ここで生じる。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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