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本当に価値のあること

先日知り合った方に気を流すことをしました。手は感じやすいので、よく手に対して気を流し、感じ取ってもらうことをする時があります。その方はこういうことはよくわからない、と言われていましたが、私の感覚では十分に気を感じており、またよく聞いてみると、手に圧力のようなものを感じていました。それでもよくわからないと言う人はたまにいるものですが、そういう人は思い込みがあったり、ただ感じるのではなく、思考を働かせてしまうことが多いのです。そうすると気の感覚を妨げてしまいます。考えるより感じるです。

また手のひらで気を感じていると、金粉のようなものが発生することがあります。気を流していて金粉が現れてきたので、そのことを指摘しても、最初のうちはなかなかそれに気付きませんでした。しかししばらくしてその方もようやく自分の手のひらにキラキラするものがあることを見出しました。人は何かを見ているつもりでも、案外物事をみていないものです。自分の概念の枠から外れているものは、認識できないことが多いです。

私が言いたいことは、気を感じたり、キラキラ光るものを出現させることに意味があるということではありません。それはある意味どうでもいいことであって、いかに自分の観念や思考といったものから離れていき、あるがままに見ていくこと、感じていくことが大事かということです。「私はこうである」「これはこうであるに違いない」などと私たちはよく考えたりしますが、それが必要な場合もあるかもしれませんが、その思考が正しいという保障はどこにもなく、むしろあるがままにあることから遠ざけることになってしまうことが多いです。

また、精神的なことや霊的なことに関心がある人は、ある種神秘的な現象に関心を持つ人が多く、私もかつてはそうでしたが、今はそういうことにほとんど関心がありません。そういうことがあるとか、何らかのことができるとして、「だから何なのだ」というのが今の私の心境です。神秘体験を多くして、不可思議なことができる人もいますが、それとその人が幸福であるとか、人格が優れているということは、あまり関係がありません。かえってそういうことにとらわれていると、心を開放させていくどころか、逆に小さくせまいものにしてしまっていることが多いように思えます。

精神的なこと、霊的なことを探求していると、不可思議な体験をしたり、できたりすることもあります。しかし、そこに本質があるのではなく、そこにこだわっていると、肝心なことを見失ってしまいます。とらわれがなくなってくると、あるがままであるようになり、それは広大無辺で枠組みというものがなく、それこそが真に価値のあるものです。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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