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こころの本質

「チベット仏教の神髄」日中出版には主な4つの宗派の代表的なラマ達の講話が載っていますが、その中でカギュ派代表のカル・リンポチェ師が心の本質について述べている所があります。

心とはまず第一に、すべての考えに気がついているものであり、あらゆる煩悩を生み出すものであり、あらゆる苦しみと楽しみを経験するものです。そういうものが心です。

そして心の基本的な性質とは、まず心は空であるということです。形もなく、色もなく、実体もないのです。だから空としか表現のしようがないのです。これは単にからっぽという意味ではありません。この空の意味は限界がなく、編満しているということです。空がある時点で生まれ、また別の時点で消滅するということはありません。

もし心が単にからっぽなだけであるならば、内と外の現象について何も理解することができません。なぜならば心は認識を伴わないからです。それで、心は本質的に光明である、とも説明されています。例えば今自分の部屋にいるとして、周りには空間が行き渡っていますが、窓から差し込む太陽の光と電灯の光があるからこそ、部屋の様子をはっきりと理解することができます。同じように、心もその光明性の故に、すべてを知り、すべてを明らかにすることができるのです。私達は部屋にいても遠い土地や国々、それがインドであろうがアメリカであろうがそこの風景を思い浮かべることができます。これこそが光明性の証です。光明性がなければ何も浮かんできません。

しかし、これだけでは不十分です。部屋には空性も光明性もありますが、部屋は心を持っていません。そこで第三の要素があるに違いないということになります。それは無礙の分別智です。例えばインドのことを考えたときに、心に何か浮かんでも、私達はそれを識別する能力を持っています。「これはブッダガヤの大塔だとか、これはどこそこの町だとか、これは男の人で、これは牝牛」といったことです。

心の空性のあるところには光明性があり、光明性があるところには分別智があります。空性、光明性、無礙の分別智は、心を説明する際にどれも忘れることができない三つの相です。この三つの性質を持った心は、無始無終の存在であって、途中で途切れることはありません。永遠の存在です。空である宇宙が、ある時に存在し始め、ある年数が経って存在しなくなるというのは馬鹿げたことです。同様に空性に依拠する心は、永遠無限のものです。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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