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境地も越えて

修行をしたり、瞑想をしていると、修行や瞑想の境地というものを体験していきます。ある程度できてくると、いかなる境地を体験したか?どの境地に自分は至ったか?ということに意識が向いていくものです。

しかし境地というと、自分とは本来違うもので、そこに到達していくということになりますが、「本当の私」とは元々内在しているものであって、何か特殊なものでそこに到達するというものではないようです。何らかの境地を体験していくことは大切ではありますが、そこにとらわれていると、ずっと探究者のままでいてしまい、「本当の私」を見失ってしまうことになります。「ただある」ということができなくなってしまいます。

とてつもなく深いサマディに至っても、サマディから覚めたら元に戻ってしまっているという例は数多くあるそうです。マインドが一時的に止まっているだけで、マインドの変容が起こっていない。しかし「本当の私」を見出していき、そこに溶け込んでいくと、マインドも変容していくようです。単に深い瞑想に入り、絶対的とも思える境地に至っても、それだけで終わってしまうこともあり、それでは修行や瞑想をしている本来の意義から逸脱してしまいます。

「本当の私」を言葉で正確に表現することはできませんが、大きく深く広大なスペースであり、ハートが完全に開いている状態のように感じます。頭だけでは決して理解することはできず、実際に体験しなければ決してわからないことです。そしてこの体験も何かが見えたとか聞こえたとかそういったレベルではありません。

集中して深い境地に至ることは、それがすべてではなく、在る段階まできたらそれも越えて十分にくつろぎ、「ただある」という状態でいること、そうすることが「本当の私」に溶け込んでいくために必要なことのようです。集中や努力が大切だというのは、絶対的なものではないのです。むろん怠惰でいていいわけではないですが、いずれは集中や努力、そこから得られる境地というものも手放す時期が来るのです。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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