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来ては去るものではなく

私たちは生きていくうえで、多くの喜びを経験することができます。美味しいものを食べる。お金を稼ぐ。地位、名誉、権力を得る。素敵な恋人と一緒にいる。美しいものを見たり聴いたりする。などなど。

しかしこういったものは、来ては去っていくものです。ずっとそれらを得られるということはありません。

そして、このような喜びにとらわれてしまうと、去っていったときに大いに苦しむことになります。ですから喜ぶのはいいのですが、とらわれてはいけないということになります。

喜ぶことすら否定してしまうと、抑圧が生じ、それはより大きな欲望を生み出すことになります。そういった欲求はいずれ爆発し、とんでもない事態を引き起こします。

だから抑圧することもなく、喜びを体験したならば、それはそれで大いに楽しみ、こだわりがないようにするのがいいと思われます。

しかし、これよりもさらに素晴らしい喜びを体験することができます。それは来ては去っていくもので得られる喜びではなく、去っていくことがないものを見出すことができたときです。

それを言葉で正確に表現することはできません。様々な宗教や精神世界において、それを色々な言い方をしていますが、実際には自分自身で見出していくものです。

ではなぜそれをなかなか私たちは見出すことができないのでしょうか?

それはあまりにも身近なものであり、かえって見出すことができないのです。また、このことを誰も教えてくれることもなく、知らずにきてしまったということもあるでしょう。

私たちの意識は、常に外側に向かっています。来ては去っていくものは全て外側にあり、それらにとらわれている限り、去っていかないものを見出すことはできません。

最終的には内側も外側もありませんが、まずは内面に意識を向けることです。それによって来ては去るものから少しずつ意識が離れていき、やがては「それ」を見出すことができるようになっていきます。

「それ」によって得られる喜びは、対象というものがないので、本質的には失われることはありません。失われたかのように思えても、それは失われたのではなく、来ては去るものに意識が向かってしまうが故に、失われたかのように思えてしまうのです。

意識を内側に向けることは、そういった実践をしていないとなかなか難しいですが、深呼吸をすることは、一つの有効な手段です。そしてできるだけ静かにしていることです。私たちは常に肉体も心も動き、騒がしい状態になっていますが、心身をくつろがせ、静かにしていることで、自然と内側に向かいます。逆にいったん心身を激しく動かすことで、その後静かになっていくやり方もあります。

本来の私たちは、来ては去るものに惑わされることなく、大いなる喜びを体験できる存在です。そのことをほとんどの人が見失っていることは悲しいことではありますが、少しずつ気づく人が増えていくことでしょう。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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