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タントラへの道 菩薩の道 3

持戒

 さらに進んで〈道徳〉〈持戒〉を意味するシーラ・パーラミターを調べてみると、そこにもまったく同じ原理が当てはまるのがわかる。

つまりシーラ=持戒は決められた一連の規則やパターンに自分をしばりつけることではない。

もし菩薩が完全に無私で、開かれているならば、彼はその開放に応じて行動すればよいのであって、規定に従う必要はない。
ただ自然にパターンにはまってゆくのだ。

菩薩が人を殺したり傷つけたりすることはありえない。

彼は超越した寛容を体験しているからだ。

菩薩は完全に自己を開いたのだ。

だから〈これ〉と〈あれ〉を差別しない。
ただあるがままのものに調和して行動するのだ。

菩薩を観察する人の目から見れば、菩薩はつねに正しい行為をしているように見える。
つねに適切なときに適切なことをするように見える。

しかし、自分で彼を真似ようとしてもそれは不可能だ。
なぜなら菩薩はけっして誤ちを犯すことがないほど緻密で正確な心をもっているからだ。

菩薩は予期しない問題にぶつかるということはけっしてなく、破壊的な混乱を巻き起こすこともない。

彼はただ自然にパターンにはまってゆくのだ。
たとえ生活が混乱しているように見えたとしても、彼はその混乱にはまりこみ、はいりこんでゆく。
するとなぜか、ものごとが自然に整理されてくる。
菩薩は奔流に巻きこまれることなく川を渡ることができるとでも言おうか。


 私たちが完全に開かれているならば、自分を見張ることなく完全に開いてあるがままの状況とコミュニケートしているならば、私たちの行為はつねに純粋で完全で秀れたものであるはずだ。

しかし努力して純粋な行為をしようとしても、ぎごちなくなってしまう。たとえ、行為そのものがどれほど純粋でも、そこにぎごちなさや堅苦しさがつきまとう。

菩薩の場合には、行為全体が自然に流れ、堅苦しさがまったくない。
まるで何年も費やして状況全体を計算したようにすべてがぴったり所を得ている。

菩薩は前もってよく考えてから行動するのではない。
ただコミュニケートしているのだ。

彼は開くという寛容さから出発してその状況のパターンに自然にはまりこむ。
菩薩の行為はしばしば像の歩みにたとえられる。けっして急がない。
ゆっくりと確実に、一歩一歩踏みしめてジャングルを通り抜ける。

ただ休みなく進んでゆく。
転ぶこともなく、道を誤ることもない。
一歩一歩がたしかでしっかりしている。



 忍耐(忍辱)
 菩薩の次の行為は忍耐だ。実際には、菩薩の六つの行為をそれぞれ独立した修行として厳密に分けることはできない。

ひとつの行為が次の行為を導き、それを具体化してゆく。

忍耐のパーラミターの場合、その行為は自分を抑制しようとしたり、勤勉な働き手になろうとすることではない。
また自分の肉体的、精神的弱点を無視して我慢に我慢を重ね、ばったり倒れて息絶えるまでがんばりつづけようとすることではない。

忍耐もまた持戒や寛容と同じように巧みな手段(方便)を伴うのだ。


 超越的忍耐はけっして何ものをも期待しない。
期待しなければ、我慢できないことはない。

しかし概して私たちは、人生に多くを期待し、自分を駆りたてる。

こうした行為のおおもとになっているのは衝動だ。

何かエキサイティングで美しいものを見つけると、私たちはそれに向かって強引に自分を駆りたてる。
しかし遅かれ早かれ押し返される。
前に押しやる力が大きいほど大きな力で押し返される。

なぜなら衝動という推進力は非常に強力であるが智慧を伴っていないからだ。
衝動的な行為は見るべき目を持たずに走っている人や、目的地に着こうとあせっている盲人の行為に似ている。

一方、菩薩の行為はけっして反動を引き起こさない。
何ものをも欲せず、何ものにも心を奪われることのない菩薩は、どのような状況にも適応することができる。

超越的忍耐の背後にある力は、早まった衝動やそれに類するどのようなものにも導かれていない。
その行為は象の歩みのようにゆっくりと確実でたえまない。


 忍耐はまた空間をも感じる。

それは新しい状況をけっして恐れない。

何ものも―――本当に何ものも菩薩を脅かすことはできない。

何が起ころうと―――それが破壊的であれ混乱したものであれ、創造的であれありがたいものであれ、心を奪うものであれ―――菩薩はけっして心を乱されることも、ショックを受けることもない。

それは自分と状況の間に広がる空間にきづいているからだ。

いったん状況と自分の間に広がる空間にきづけば、その空間でどんなことでも起こりうる。
何事が起ころうとそれは空間で起こる。
関わりや戦いの意味での〈ここ〉や〈あそこ〉で起こることは何もない。

したがって超越的忍耐とは、世界と流れるような関係をもち、けっして何ものとも戦わないことを意味する。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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