スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

タントラへの道 エゴの発達 Q&A

Q&A

Q―――意識喪失(ブラックアウト)の意味をもう少し説明していただけますか?


A―――それは格別深い意味をもっているわけではない。
ただ第一スカンダの段階で空間を固定したものにしようと励みすぎたということだ。
あまりのスピードで励んだので、知性が突然くずれてしまったのだ。

これは一種の悟りの裏がえし、覚醒の逆の体験と言える。
つまり〈無知〉の体験だ。

力みすぎて突然意識を失くしてしまう。
この固定ということのすべてが、あなたが実際に成し遂げたこと、ひとつの傑作になる。

それは完全に成し遂げたとき、突然あなたはそれに呑みこまれる。
それはそれなりに一種の瞑想であり、サマーディ(三味)の裏がえしと言うことができる。



Q―――本当に生きるためには死を意識しているべきだと思われますか?


A―――死を意識することが死を分析することを意味するならば、それはとくに必要ないと思う。
ただ自分のありのままの姿を見つめなければならない。

私たちには、精神性の肯定的な面やその美だけを探し求め、ありのままの自分を無視する傾向がある。
これが一番大きな危険性だ。

もし自分を分析することにとらわれているならば、私たちの精神修行も、最終的な分析、採取的な自己欺瞞を見つけるためのものになってしまう。
エゴの知性は恐るべき才能に恵まれている。
どんなことでもゆがめることができる。

もし私たちが精神性、自己分析またはエゴの超越などという考えに飛びつけば、エゴはただちにそれを手の内にし、自分を欺くための説明に使ってしまう。



Q―――猿が幻覚を見はじめるとき、それは前から知っていたことなのでしょうか? 幻覚はどこから来るのでしょう?


A―――それは一種の本能、二次的な本能というか、つまり私たちがみなもっている猿のような本能だ。

苦痛を感じれば人はその反対の快楽の幻覚を見る。
自分を守り、自分の場を確保することに駆りたてられるのだ。



Q―――意識のいまわのレベルにしか達してない私たちは、あなたの言われる無限の空間に帰ることができないかぎり、このレベルで絶望的にもがき戦うことを免れないのでしょうか?


A―――もちろんわたしたちはつねに戦いつづけて、終わることがない。
私たちが耐えてゆくたえまない努力について永久に話しつづけることもできる。

あなたの言うとおり、ふたたび、人間本来の空間を見いだす以外に答えはない。
そうでなければ〈あれ〉に対する〈これ〉という心理的な傾向にはまりこんでしまう。

これは障害だ。私たちはつねに敵と戦っている。一瞬として戦いを放棄するときはない。
問題はそれが二元性、つまり、私と私の敵という形で表現される戦いであることだ。


 瞑想の実践はそれとはまったく異なるやりかただ。
人生に対する態度ややりかたをすべて変えなければならない。
自分のいわゆる方針を、全面的に変えなければならないのだ。

これは大変な苦痛を伴う。
突然人は考えはじめる。
「もし戦うのをやめてしまったら、敵にどう対処するのだろう? 自分は戦わなくてもかまわないが、敵の方は? 敵は依然としてそこにいるはずだ。」 これは興味深いポイントだ。



Q―――壁を見て、自分がそこにいること、そしてそれ以上は進めないことに気づく。
これは非常に危険な立場のように思えるのですが。


A―――それがまさに私の話していたところだ。
そこには何の危険もない。

頑丈な壁、そして自分がその中に囚われていることに気づくとき、それは苦痛かもしれない。

しかし、それが興味深いポイントなのだ。



Q―――しかし、もうひとつの状態である、限りない空間に戻りたいと願うのは、本能的なことだといま言われたばかりではないですか?


A―――そのとおり。

しかし、この猿はもはや、自分をただあるがままにまかせようとはしない。
休みなく戦いつづけるか。さもなくば幻覚に巻きこまれるかだ。

猿は決して立ち止まろうとしない。
自分自身が正確に何かを感じることを許さない。
それが問題だ。

だからこそただ立ち止まること、ただ間をもたせることが瞑想修行の第一歩なのだ。



Q―――自分の周りに柵、すなわち抑制があることにはっきりきづいているとしましょう。
抑制は自分がそれに気づくことによって自然に消え失せるのでしょうか?


A―――ここで大事なことは、ジレンマからどうして逃れるかを頭で考えてはならない。

いまはただ、私たちがいるこの閉所恐怖を催させる部屋のすみずみまでを考察すべきだ。
それが学ぶことの第一歩だ。

私たちに必要なのは心の自分の姿を知り、自分を正確に感じることだ。
これがさらなる探求へのインスピレーションを与えてくれる。

まだ自由になることについて語らないほうがよいだろう。



Q―――閉所恐怖の部屋は、私たちの頭が作り出したものだと言えるでしょうか?


A―――人間本来の知性は強烈なものであり、つねに私たちを動かす引き金となる。
したがって猿のこれらの行動のすべては、それから逃れるべきものとしてではなく、本来の知性の結果としてとらえられなかえればならない。

もがけばもがくほど、私たちは壁の厚いことを知ることになる。
戦いにつぎこんだエネルギーの分だけ、私たちは壁を強固なものにしてゆく。
なぜなら壁は私たちがそれに払う関心によって強固になってゆくからだ。

壁に注意を向けるたびに、そこから脱け出すのは絶望的だと感じはじめるのだ。



Q―――家の五つの間ドアから外を見たとき、猿は何を見るのですか?

A―――そうだな。猿が見るのは東、西、南、北。


Q―――猿にはそれがどう見えたのでしょう?

A―――四角な世界。


Q―――家の外は?

A―――うん。四角な世界だ。四角な窓から見るのだから。


Q―――遠くには何も見えないのでしょうか?

A―――見える。
しかし、やはりそれは四角な絵だ。壁に絵をかけているようなものだから。
そうだろう?


Q―――猿が少しL・S・Dかペヨーテ(幻覚性植物の一種)をやったらどうなるでしょう?

A―――もうとっくにやってるさ。


※ reverse satori トゥルンパ独特の表現で、〈迷悟〉と呼ばれるものを指す。
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

要するにあきらめるしかないんですよね

本当は、宇宙には愛と知恵しかないのに。

猿や、豚も宇宙の仲間であり、それも含めて宇宙であると言うのに。

それに気付かず、上下左右過去未来に敵や壁ある世界に住むのは大変ですね。

辛そうだ。
最新記事
プロフィール

唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新コメント
最新トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。