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タントラへの道 開かれた道3

ここで私たちは開かれた道への鍵であり、その基礎にある雰囲気である慈悲の意味について話し合うべきだろう。

慈悲という概念を表現するのに最良の、最も正確な言い方は明晰、それも私たちが本来持っている暖かみを含んだ明晰と言う言葉だろう。

この時点では自分自身を信頼するということがそのままあなたの瞑想の実践なのだ。

あなたの修行の効果が日常生活のなかでよりはっきり見えるようになると、あなたは自分への信頼を深め、慈悲のある態度をとるようになる。

ここで言う慈悲とは、人に対して憐れみの気持ちをもつことではない。

慈悲とは私たちが本来もっている暖かみのことだ。

より大きな空間と明晰さがあれば、それだけ暖かみも存在する。
そして肯定的な悦びに満ちた感情がたえまなくあなたの内部に起こってくる。

そうすればあなたのやることが何であろうと、自分を意識する瞑想からあなたを機械的に引き離すようなことはない。

むしろ瞑想は悦びに満ち、自然に起こるできごとになる。
それは自分自身と友達であろうとするたえまない行為だ。


 こうして自分自身と友達になった以上、その友情をただ内に秘めておくことはできない。

何らかのはけ口、つまり外の世界との関わり合いをもたなければならない。
そうして慈悲は外の世界とのかけ橋になる。

自分自身に対する信頼と慈悲が、私たちに生とダンスをし、世界のエネルギーに関わろうとするインスピレーションを与える。

このようなインスピレーションと開放をもたなければ、私たちにとって精神の満ちはただ自分の欲望を満たすためのサンサーラ(輪廻)的な道になってしまう。

自分を改良し、自分が想像するゴールに達しようとする欲望のわなに捕らえられたままになってしまうのだ。
そしてそのゴールに達することができないと感じると失望し、満たされない野心が拷問のように私たちを苦しめる。
反対に自分がゴールに向かって進むことに成功していると思えば、私たちは自己満足に陥り、より早くゴールに達しようとしてあせるだろう。

「自分のしていることは自分が一番よく知っている。ほっといてくれ」と自分の知識に慢心してしまう。

そして自分の専門に精通している〈エキスパート〉のようになりかねない。

もし誰かが質問、それもとくに愚かな質問や挑戦的な質問をしようものなら、〈エキスパート〉はそれに答えようともせずに腹を立てる。

「どうしてそんなことがいえるのだ?そんなにつまらない質問をよくも思いつけるものだ。私がどれほどのことを知っているかわからないのか?」と。


 あるいは何らかの形の二元的な精神集中法の訓練に成功して一種の〈神秘境〉を体験する場合もあるだろう。

すると私たちは非常に穏やかで型どおりの宗教的な雰囲気を身につけることができる。
しかし、そうなると私たちはその〈神秘境〉にたえず充電して、それを維持していかなければならない。

自分の達成をつねに吟味し、くりかえしそれを確かめ、その中におぼれてしまいかねない。

これは、小乗(ヒーナヤーナ)の自己内包的瞑想法や自覚の修行の典型的なゆがみであって、ある意味では攻撃性のひとつのあらわれなのだ。

自分自身の体験にだけその焦点をしぼることから、そこには慈悲や開放の要素がない。


 慈悲は、達成とはまったく無縁のものだ。慈悲は広大で非常に寛大なものだ。
本当の慈悲を持つ人はには、自分が人に対して寛大なのか自分自身に対して寛大なのか確かではない。

なぜなら、慈悲とは「自分のために」とか「彼らのために」という方向性をもたないひとつのいわば環境としてそこにある寛大さだからだ。

それは悦びで満たされている。

おのずと存在する悦び、信頼を意味する悦び、そして測り知れない富と豊かさを含む喜びで満たされている。


 慈悲とは、豊かさの究極の状態だと言うこともできる。
それは貧しさの反対、欲の戦いの反対の状態だ。雄雄しく、みずみずしく、肯定的で幻想的でそして広がりがあるというようなさまざまな性質を慈悲は含んでいる。

そしてそれはより大きな視野をもつ思考や、世界と自分自身に対するより自由で広がりのある関わり方を意味する。

これこそ第二のヤーナが〈マハーヤーナ=大乗(大きな乗り物)〉と呼ばれる理由だ。
それは人は根本的に豊かに生まれついているのであって、豊かにならなければならないのではないという態度だ。

このような自信があってこそ、私たちは瞑想を行為に移すことができるのだ。


 慈悲は自動的にあなたを人々と関わり合うことに誘う。

なぜなら慈悲をもつあなたにとっては、人人と関わることはもはやエネルギーの浪費ではない。

人々と関わる過程で、あなたは自分の富、自分の豊かさを確認する。
つまりその過程で人々があなたにエネルギーを充填してくれるのだ。

したがって、人々や生活の状況に対処するというむずかしい課題に取り組んでいても、あなたは自分のエネルギーが尽きるとはけっして感じない。

困難な問題に直面するたびに、それはあなたに自分の富と豊かさを示すまたとない機会を与えているわけだ。

人生に対するこのようなアプローチには貧しさの感覚がまったくない。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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