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タントラへの道 自己欺瞞 4 Q&A前半

▼ Q&A


Q―――絶望という感情の仕組みについて、もう少し話してください。
絶望がなぜ起こるのかはわかりますが、至福がなぜ起こるのかがわかりません。



A―――はじめは至福を体験するように自分を押しやることはありうることだ。

一種の自己催眠によって、あるのままの自分という基盤を見ることを拒む。

即座に至福を体験することに意識を集中する。
つまり、自分が実際に立っている基盤を完全に無視して、強烈な悦楽を体験することに自分を駆りたてる。

このようにして得られた体験は、自分を見張ることだけに根をもっているところに問題がある。

それは完全に二元的なアプローチだ。
あることを体験したいと望み、大変な努力をして望みを達成する。

しかし、〈ハイ〉な状態からひとたび落ち込んで、自分が依然としてそこにあること、大海の波間にそそり立つ黒い岩のように、同じところに立っていることに気づくと、私たちは救いがたい絶望感に襲われる。

酔い、陶酔し、宇宙に溶け込みたいと思っても、なぜかうまくいかない。
私たちは、まだここにいる。

その事実がいつもまず第一に、私たちをダウンさせてしまうのだ。
その後で自己陶酔のあらゆるゲームが始まる。

さらに自分を養い、完全に保護しようとするのだ。
これが〈見張り人〉の原理だ。



Q―――あることを体験すると、それを頭で捕らえ、「これはすばらしい!」と言いながらラベルを貼ろうとすることについて話されました。

私にはそれはほとんど自動的な反応のように思われるのですが、どのようにしてその反応から抜け出せるのか、話していただけませんか?
 価値付けをやめようとすればするほど、さらに価値付けをすることになるのではないでしょうか?



A―――自分が価値付けをしていることを認め、それによって得るものは何もないことに気づいたならば、もう抜け出す道を見つけたようなものだ。

あなたは、その全過程が何の利益にもならない膨大なゲームの一部であることに気づきはじめる。

そのゲームの中では、あなたは、ものごとの理解に達するのではなく、むしろたえまなく自分を築き上げているのだ。

どのような魔法もトリックも無縁だ。

ただひとつなすべきことは、相当な苦痛をこしらえてでも自分の仮面をはぐことだ。


 おそらく、精神性を成就しようとすることの愚かさに気づくまで、あなたは自分を築きつづけることを免れないだろう。
あなたの心のすみずみまでが、あがきで埋められるかもしれない。

実際、自分が進んでいるのが、戻っているのかわからないかもしれない。
そして最後に完全に疲れきってしまうだろう。

そのときにはじめてあなたは学ぶのかもしれない。
―――「すべてを捨て、無になれ」という有益な教えを―――。

無になることを思いあこがれるようにさえなるかも知れない。
二つの解答があるようだ。
あっさりと仮面を脱ぐか、あるいは築きつづけて闘いつづけて、頂点に達したところですべてを落とすかだ。



Q―――「わぁ、ついにやり遂げたぞ!」と言ったらどうなりますか?
 それで、全部が帳消しになるわけではないでしょう?


A―――そうとは限らない。ただその後で何が起こるだろうか?

 いまのあるがままの状況に関わるよりも、その体験を繰り返し反復したいと思わないだろうか?
 私たちは開放の最初の閃きによって、測り知れない悦びを体験することができる。
それは美しいことだ。

しかしその後に来るものが問題だ。
その体験にしがみついて、それを再現しようとあがくか、単なる一つの体験としてあるがままにまかせるか―――。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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