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内面が静かであること

先日は自分が主催する瞑想会で、瞑想に慣れた方ばかりが来てくださり、私もやり安かった。今回はとても静かな場が形成され、とても落ち着いた雰囲気となった。最後のハートの瞑想では、今までより深いハートに働きかけがあり、そこでハートが開いていく感がした。それも強烈な感覚ではなく、静かな中でのことだった。


今の日本、特に都会やそこに近いところに住んでいたり、活動したりしていると、なかなか心が静まり安らぐことがない。五感を通じてあらゆる刺激が飛び込んできて、常に心が揺り動かされている。これではストレスがたまる一方で、心身共にバランスを崩してしまう。


あらゆる刺激にさらされていると、感覚が麻痺してしまい、常に刺激がないといられなくなってくる。そしてより強い刺激を求めるようになる。そして心の平安な状態からますます遠ざかっていく。そして心が不安定になるから更に強い刺激を求め、しかしそれでも決して内面が満たされることはなく、より一層不安定になってしまう。まさしく悪循環である。


瞑想会でそこにいる人達の心が静まってくると、それが共鳴してそういった場になっていく。そうなると外的なことに意識が向かわなくなり、それこそが本来の姿であると気づく。頭だけで理解しようとしても、それは難しいというか不可能である。それには学ぶだけでなく、実践が必要となる。


心を静めていく人たちと共にいることができればいいが、そういう機会がなかなかとれなければ、一人で静かにしている時間をできるだけとるようにするのがいい。自然に恵まれたところに行ければ更によい。慣れてくると一人でいれば自動的に心が静まってくるが、そうもいかない時は深呼吸をするとよい。呼吸に意識を向けていくのは、有効な手段の一つである。呼吸以外にも音や何か一つの対象を見続けるのもよい。そして心が静まってきたら、それらの対象も手放していく。


思考や感情に翻弄されている時は、心が完全に乱れている。それは平安からはほど遠い。心が静かだと、たとえ様々な思考がやってきたとしても、それにとらわれることはない。そしてそれはただやりすごしていれば、やがて消え去っていく。見過ごすことができないから、そこで翻弄され苦しむことになってしまう。まずは深呼吸などのテクニックをもちいつつ心を静めていき、その状態で来ては去っていくものをただやり過ごしていけば、本来の自分の在り方に気づいてくる。


今月は瞑想会が後二回あります。11日と26日です。今回書かれていることを実践してみたい方はご連絡下さい。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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