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肉体に本質はない

弟子たちよ、今は私の最期の時である。しかし、この死は肉体の死であることを忘れてはならない。肉体は父母により生まれ、食によって保たれるものであるから、病み、傷つき、こわれることはやむを得ない。


仏の本質は肉体ではない。さとりである。肉体はここに滅びても、さとりは永遠に法と道に生きている。だから、わたしの肉体を見る者がわたしを見るのではなく、わたしの教えを知る者こそわたしを見る。


わたしの亡き後は、わたしの説き遺した法がおまえたちの師である。この法を保ち続けてわたしに仕えるようにするがよい。


弟子たちよ、わたしはこの人生の後半四十五年間において、説くべきものはすべて説き終わり、なすべきものはすべてなし終わったわたしにはもはや秘密はない。内もなく、外もなく、すべてみな完全に説きあかし終わった。


弟子たちよ、今やわたしの最期である。わたしは今より涅槃に入るであろう。これがわたしの最期の教誡である。


大般涅槃経より



釈迦が最後に弟子たちに説いた教えの一部です。釈迦は教えを説き終わり、何も思い残すことなく涅槃されたのでしょう。


偉大な師がいても、肉体にその本質はありません。教えを知り実践するものが本当の弟子であり、物理的距離なども関係ありません。しかし、師の肉体を奉ったり、物理的距離を近づけたいと本質的なところから外れてしまう弟子も多いようです。釈迦はそのことを涅槃の直前に誡められていました。これはそういうものがでてくることも予見されてもいたからでしょう。


また肉体が死んだとしても、教え、法というものがなくなってしまうことはありません。肉体だけにとらわれていると、師が亡くなった時に嘆き悲しんだり、自分が死を迎えるにあたり、非常に恐怖してしまいます。肉体は朽ち果ててしまうものであるから、そこにとらわれていたら愛するものが亡くなったら嘆き悲しむし、自分が死ぬ際にはものすごい恐怖でしょう。しかしそこに本質がないと悟っていればただ嘆き悲しむこともないし、死を必要以上に恐れることもなくなります。


釈迦が残された偉大なる法を理解し実践し、それを保ち続けていきたいものです。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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