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コメディアンか?映画監督か?

ビートたけしといえば、日本で非常に有名な人物だが、海外でもその名はよく知られている。海外ではビートたけしではなく、タケシ キタノとしてだが、多くの日本人はコメディアンとしてのイメージが強いだろうが、海外ではコメディアンというよりも映画監督として、それも現代の巨匠という地位にある。

もう何年も前の話だが、外国人と日本についての話をしていて、唐突に「Do you know Takeshi Kitano?」と尋ねられた。私は当然知っていると答え、それからその話題でしばらく話した。彼の映画は素晴らしいとその外国人は繰り返していた。話をしながら、たけしは海外でも人気があり、映画が高く評価されているのだと改めて実感した。

これも何年か前の話だが、海外の空港で入国手続きを待っている間、モニターで色々とコマーシャルが流れていたが、いきなりたけしが登場して驚いた。日本では見ない内容だったから、その国独自のコマーシャルに出演していたのだろう。そのコマーシャルはコメディ色は全くなく、シリアスなものだった。ここでもまたたけしの海外における人気や知名度に驚いたものであった。

たけしが何かのインタビューか誰かとの対談で言っていたことだが、たけしのファンの間でネットの掲示板で論争があり、一人がたけしは日本では著名なコメディアンだと書き込みをしたら、別の熱烈なファンが、あのようなシリアスな映画を撮るたけしが、コメディアンであるはずがない、と書き込みをしたそうで、それに対してたけしがかぶりものをしている写真か動画をアップしたら、コメディアンであることを否定していた人たちは絶句した、というようなことをたけしが語っていた。私などはたけしは映画監督というよりもコメディアンのイメージが強いので、そんなものなのかと思うが、日本人でも若い世代ではコメディアンとしてのたけしより、映画監督のイメージが強いのかもしれない。

私はこの話を聞いて感じたのは、人は思い込みが激しく、幻想の中に生きており、現実をみすえることが難しいということだった。映画監督としてのたけしのイメージが強いと、コメディアンとしての面を受け入れることができない。コメディアンのイメージしかないと、映画監督としてのたけしを否定してしまう。しかし、コメディアンも映画監督もどちらもたけしの側面であり、どちらも欠かすことができない。更にいうと、コメディアンでも映画監督でもない素の北野武としての面もあり、それを見出すことはなかなかできない。幻想から離れることは容易ではないが、できるだけ幻想を取り払い、真実をありのままに見ていきたいものである。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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