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死と生は表裏

先日知り合いと飲む機会があり、下世話なことから真面目な話まで色々と語り合いました。アルコールが入った状態で話をするのは、お互いの本音が出てきて面白いものです。

知り合いはNさんとしておきますが、Nさんは真剣に仕事に取り組んでいますが、型物ということもなく柔軟性のある人です。最初は他愛のない話からしていきましたが、途中はかなり真面目な話になりました。

Nさんは上司や部下を問わず、多くの人に聞くことがあるそうで、それは「死んだらどうなると思うか?」ということでした。しかしNさんが言うには、そのことをまともに考えている人はまずいなくて、「死んだらそれで終わりだ」とか「そんなことは考えない」という反応ばかりで、死というものに対して悪い意味で思考停止している人ばかりと嘆いていました。

人は必ず死ぬものであり、それについて無視することはできないはずです。「あなたは死ぬけど、私は特権があって死ぬことがない」とてもいうなら、死についてまったく向き合うことがなくてもいいでしょう。しかし、そのような特権を持っている人は存在せず、誰にでもこの世においての死を体験するのだから、そのことを無視するのではなく向き合う姿勢は必要ではないと思うのです。

私は父や親族の死を見てきているし、また自分自身が死にかけたこともあるので、死については目をそむけることはなかったです。子供のころから死について考えることもあり、「人はみな死ぬなら、なぜ生まれてくる必要があるのか?「いったいぜんたい死んだらどうなってしまうのか?」などと考えることが時々ありました。子供のころからそんなことを考えていたのかと驚く人もいるかもしれませんが、案外子供のころはそういうことを考えることがあるものです。それを忘れてしまっている人が多いのではないかと感じます。

子供のころから死について考えることもあったので、死は私にとって重要なものであり、それを無視したり目をそむけるというのは、少々信じがたいものがあり、そういうことも個々人の違いですが、それでいいのか?とは思ってしまいます。

死について考えることを、近頃の日本人は縁起でもないとか、ネガティブなことと感じる人が多いのではないかと思われますが、つきつめていくと死を意識するとは、いかに生きるかということにつながると感じます。もしいい加減に生きている人がいたとして、そのような人が死を迎えたら、「もっと積極的に生きればよかった」とか「俺の人生はこんなものか」という後悔の念にさいなまれる人が多いのではないでしょうか?死ぬ間際にはその人の生き様というものが反映され、死ぬことはいかに生きるかということと表裏です。

人の生き様というのはまさしく十人十色ですが、死というものを考えた場合、いかに内面を充実させるかが重要です。どれだけ世俗で成功し、多くの財産をなしたり、地位や名誉を得たり、多くの異性に囲まれたとしても、それらは全て死を境に消え去ってしまいます。それらに強くとらわれていると多大な苦しみを感じることになります。
一方そのような死を境に消え去ってしまうものに執着することもなく、内面が充足していれば死の間際に苦しむこともなく、穏やかに死を迎えることができるでしょう。

私の父は10年ほど前に亡くなりましたが、あまり苦しむこともなく穏やかに逝きました。咽頭ガンで亡くなったのですが、ガンは人によっては多大な苦痛を感じるものですが、父は痛みや苦痛を訴えることがあまりなかったようです。母が毎日のように入院先の病院に介護に行き、また周りに迷惑をかけることもなく落ち着いた態度でいたので、お医者さんや看護師さんたちからの評判もよかったようです。病院で遺体と対面し、棺が火葬場へ運ばれていきましたが、玄関先で担当のお医者さんや看護師さんたちが出迎えてくれ、中には涙ぐんでいる看護師さんもいました。それを見て私は父は担当してくれた人たちから本当に好かれていたのだと感じました。

父は世俗的には成功したとは言えず、友人もあまり多い方ではありませんでした。しかし、死の間際に熱心な介護を受けることができ、苦しむことなく穏やかに逝くことができたので、良い死に方をしたと私は嬉しく思いました。もちろん父の死が嬉しいということではなく、悲しみもありましたが、必要以上に悲しむことはなく、良い死に方ができたということが嬉しかったのです。自分自身も父のような死に方ができればとその時思いました。

父は多くの財産をなしたわけでもなく、地位や名誉も得ることはありませんでした。そして少々偏屈ではありましたが、腹黒いところはなく欲望もそれほど多い方ではなかったと思います。外的な面では成功者ではなかったかもしれませんが、良き心を持っている人ではなかったかと思います。それゆえ穏やかに死を迎えることができたのでしょう。このような視点で見ると、外的に満たされることが果たして幸福と完全に一致するのか?何が人間にとって大切なのか?ということが見えてくるような気がします。

人は生まれた時から死に向かって歩んでいきます。その事実を見据えることが必要であり、そして死と生は不可分であり、この瞬間瞬間をしっかりと生きていくことが、必ずやってくる死においてどのような結果をもたらすかに関わってきます。外側のことも大事ではありますが、内面を充実させることが死においては最も重要なことです。

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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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