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個人崇拝を超えて

アンマのダルシャンを三日間受けましたが、そこでボランティアをしている知り合いと昨日長く話したのですが、アンマの帰依者の中でも、アンマ個人に対する崇拝をしている人もそれなりにいるということで、知り合いは狂信的なものになってしまわないかと若干の危惧を抱いていました。アンマ自身が堕落してしまい、方向性が狂ってしまうことはまずないと思いますが、帰依者達が方向性を誤ってしまうことはありえないことではないと思います。

仏教関係の帰依者の中でも、個人崇拝をしてしまう人も見受けられることがありました。ある意味これは致し方ないことかもしれず、最初のうちはそれでもいいかもしれませんが、やがてそこから離れていく必要があります。

多くのグルやマスターが、明け渡しについて語ります。エゴを超越していくために、明け渡すことは非常に重要ですが、何に対して明け渡すのかということがとても重要です。本物のグルやマスターは、特定の人格に明け渡すことを要求しません。偽物がそれを要求し、弟子たちも無思考に従ってしまいます。これはとても危ういことです。

とっかかりとしては、グルやマスターに対して崇拝し、明け渡すということがあってもいいかもしれません。しかし、その関係が続いてしまうと、グルと弟子の間で共依存の関係性ができてしまい、おかしなことになってしまいます。このような事例は決して珍しいことではありません。そしてこの関係性において、決して覚醒が起こることはないでしょう。

何に対して自分を明け渡すのか?それはグルやマスターの背景にある、より大きな存在に対してであり、別の言い方をするなら、自分の中にある決して変わることのないものに対してではないかと思います。そうしないと目覚めていくどころか、どんどんマーヤーにとらわれることになってしまいます。

本当に目覚めていき恩寵を受け取るには、エゴを超越していく必要がありますが、特定の人物への崇拝は、まさにエゴ、マインドの罠に他なりません。そのことに気づくことができれば、本当は何を崇拝する必要があり、何に明け渡せばいいかが自ずと明らかになってくるでしょう。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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