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本来は広大無辺なもの

チベット密教に、身体を中空に観相する瞑想がある。身体には、内臓やら何やらいろいろなものが詰まっているが、そういうものが全くなく、空っぽだとイメージする。これは私の記憶では基本的な瞑想とされているが、非常に効果的であり、かつ重要なものであると感じる。

人の意識は、本来広大無辺なものであるが、皆そのことに気付かずに、狭くて小さなものとしてしまっている。それは肉体や思考や感情といったものを、「これが私である」と錯覚してしまっており、自分自身を見失っているからに他ならない。しかし、「私は誰か?」の問いを発し続け、だんだんと気付きが深まってくると、自分の意識は本来広大無辺なものであると感じるようになってくる。

近頃、ハートの奥に、広大なスペースを感じるようになってきている。これはチャクラの奥にではない。もっと根本的なハートの奥にである。そしてそれこそが本来の自分自身ではないかと感じる。普段「これが私」と感じているものは錯覚であり、広大無辺なスペースが本来のものではないかと感じることが多くなってきている。まだ常にその状態ではないが、それに気付いている時間は長くなり、深みも増してきているように思う。

長年の習性で、人はどうしても肉体や、思考や感情といったものを自分だと感じてしまう。それはどうしても仕方ないことだが、少しづつでもそういう概念から離れていくようにしていくことが大切だと思う。こういったことは頭だけの理解では足りないので、思考で理解したと思い込まないようにする必要がある。そのために一つの有効な手段として、冒頭に述べた中空の瞑想は効果的だと思う。

人の五感で認識するものが全てではない。それを超えたものがある。それに気付き、それこそが本来の私なのだと体得できるかどうかが、ポイントとなるのではないかと感じる。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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