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タントラへの道  六道  Q&A

▼Q&A


Q―――戦わなければならないと思ったことがまったくなかったとしたら―――、つまり、家の外に出たいという心境に達したことがないとしたらどうでしょう?
 むしろ家の外にあるものがいくぶん恐ろしいので、自分をまもるのに壁を利用していると思えるのですが―――。


A―――壁と友好関係をもつことができれば、どういうわけかすでに壁自体がなくなってしまう。
反対に自分を守るために壁が欲しいと思っても壁はもうそこにはないだろう。
壁を憎めば憎むほど、それは堅固で固いもの隣、壁と仲よくなればなるほど、壁が消えてしまうのは非常に逆説的だ。



Q―――苦痛と快楽は善と悪、正と不正を区別する知的識別と同じ基盤に立っているのでしょうか?その識別は主観的な態度から来るのでしょうか?


A―――苦痛と快楽は同じような背景から生まれると思う。

一般的に快楽は善、苦痛は悪とみなされ、それが高じて快楽は喜びや精神的至福とみなされ、天国と結びつけられる。
そして苦痛は地獄と結びつけて考えられている。

苦痛を取り除くことによって 楽を得ようとすることや、激しい苦痛を恐れるあまり快楽を求めて戦うことの愚かさとアイロニーを見ることができれば、それは滑稽にさえ見えるだろう。

快楽と苦痛に対する態度には一般的に少しユーモアのセンスが欠けているようだ。



Q―――はじめの方で、現象的な世界を幻惑し、そしてそれから抜け出そうと欲することについて語られましたが、私は仏教では現象的な世界は〈空〉のひとつの姿にすぎないと説くことを知っています。
そうだとしたら、そこから脱け出すべきだとはどういうことなのでしょう?


A―――ここで大事なことは、エゴから見れば、現象的な世界も非常にリアルで圧倒的で堅固なものだということだ。
実際には幻覚であったとしても、猿にとってはまったくリアルで堅固なものなのだ。

猿の混乱した見方からすれば、思考でさえもきわめて堅固な実体をもったものとなる。
色即是空、つまりこれらの幻覚は存在しないのだと言うだけでは不じゅうぶんだ。

猿に向かってそう言ったところで、彼にとっては形(色)は堅固で重みをもった形として存在しているのだ。
猿はまったくそれにとらわれ、他の見方でそれを見る余裕がない。

だから猿にとってそれはリアルなのだ。

猿はつねに自己の存在をより強力にするのに忙しい。
けっして間(ギャップ)をもとうとしない。

だから、インスピレーション」が湧く余裕も状況の他の側面や異なった角度をながめる余裕もないのだ。
猿の見方からすれば、混乱そのものが実体をもっているのだ。
悪夢にうなされている最中には悪夢は現実であり、ぞっとするように恐ろしい。

しかしその体験を後でふりかえってみれば、それはただの夢だったのだ。
二つの異なった論理を同時に使うことはできない。

混乱した側面を見とおし、その愚かしさを知るためには、その混乱を徹底的に見つめなかればならない。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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