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タントラへの道 厳しい道 4 Q&A後半

Q―――怒りを感じたとき、自己を開くためには、怒りをそのまま表現するべきでしょうか?


A―――怒りを感じたときに、開き、ゆだねることは何かと言えば、必ずしもその場で誰かを殴ることではない。
そのような行為は自分の怒りをそのまま正確にさらけ出し、その生き生きした性質を見ることではなく、むしろエゴを養う行為のように思われる。

これはあらゆる場合に自分をさらけ出すことにあてはまる。
それはあるがままの状況の基本的な性質を見ることであって、その状況を用いて何かをしようとすることではない。

もちろん私たちが何の先入観ももたず、状況に対して完全に自己を開いているならば、どのような行為が正しいものか稚拙なものかはわかるはずだ。

ある一連の行為がぎこちなく稚拙に感じたら、あなたはそれをつづけるようなことはしないだろう。

巧みで創造的なやりかたをとるだろう。
とりたてて価値判断をするのではなく、ただ創造的な道を選ぶだろう。



Q―――ものごとを集めたり、自分の偽装を防御しようとすることは避けられない段階なのでしょうか?

A―――多くのものを集めると、後でそれを手放すのが苦痛になる。
それは手術の跡に残された縫い糸のようなものだ。
糸を抜くのが恐ろしく、心配になる。

私たちは身体の中に異質なものがあることに慣れてしまったのだ。



Q―――師をもたずにものごとや自分をありのままに見ることはできるのでしょうか?


A―――私はそれはできないと思う。
自己を完全に開き、ゆだねるためには〈精神の友〉をもつことが必要だ。



Q―――その〈精神の友〉は生きている人でなければならないのでしょうか?


A―――そのとおり。
それ以外の〈存在〉は、あなたが真にコミュニケートしていると思っていても、実際にはあなたの想像でしかないのかもしれない。



Q―――例えばキリストの教えそのものが〈精神の友〉であるということは?


A―――ありえないと思う。
それは自分が想像した状況にすぎない。
キリストの教えだけでなくあらゆる教えについてそれは言える。

私たちがそれらの教えを自己流に解釈することができるところに問題がある。
書かれた教えというものはエゴの解釈に対してつねに無防備だ。
そこにあらゆる問題の原因が隠されている。



Q―――自己を開き、さらけ出すという表現のしかたは、私にある種の精神療法を思い出させます。

精神療法の役割についてはどう思われますか?


A―――精神療法のほとんどの場合に問題になるのは、そのプロセスを〈療法〉と見なすことによって、それが本当に切実なあなた自身の問題ではなく、ただ従うべきひとつの〈療法〉になってしまうことだ。

言いかえれば〈両方〉はあなたの趣味になる。

さらにあなたは、自分の小乗が個人的な生い立ちの歴史によって決められたものだと信じこむ。

父親や母親との関係が正常でなかったから、自分はものごとに対する健康的とは言えない態度をもっている。

このように過去の生い立ちをとらえて、自分の現在の状態をそれに結びつけて考えはじめるならば、その状態から抜け出す道はなさそうに見える。

そして私たちは絶望的になる。過去をやりなおすことは誰にもできない。
私たちは抜けようのない過去の罠にはまってしまうのだ。

このような療法はきわめて稚拙だと言わざるをえない。私たちが、いま起こっていること、いま、ここにあるものの創造的な側面と関わることを妨げるという理由で有毒でさえある。

その反面、精神療法が現在の瞬間に生きること、現在の問題に取り組むことに重きを置くならば、つまり言葉による表現や考えとしてだけでなく、実際に感情や情緒を体験することを強調して示されるならば、非常にバランスのとれた方法になるだろう。

残念なことにほとんどの精神療法や精神医は本当にありのままの状況に取り組むことよりも、自分と自分の理論の正しさ証明することに一生懸命になっている。

実際彼らはあるがままの状況に取り組むことを恐れてさえいるのだ。


 理論やその他のものによって問題を複雑にするのではなく、もっと単純にしなければならない。
現在の状況、この瞬間こそあらゆる過去を含んでいて、しかも未来を決定するのだ。
すべてはいまここにある。

だから自分の過去や未来の姿を証明するのに現在より遠くを見る必要はない。
過去を解きほぐしてみようとするやいなや、私たちは現在の野心や戦いに巻き込まれてしまう。
そして現在の状況をあるがままに受け入れることができなくなってしまう。
それは愚かなことだ。
また自分の精神医を、グルや救い主と見なすことも健康的なことではない。

私たちは自分自身を治療しなければならないのだ。実際それに代わる方法は何もない。
〈精神の友〉はある状況のもとでは、私たちの苦痛をさらに強めるかもしれない。これは医師と患者の関係の一部なのだ。

精神的な道を何か贅沢で快いものと見なすのではなく、人生の事実にただ立ち向かうこととしてとらえることが大切だ。


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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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