スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

タントラへの道 厳しい道 3

私たちには日本に旅をしてすばらしい時を過ごすかもしれない。
日本の文化、美しい禅寺、そして最高の芸術作品を鑑賞するだろう。

それらの体験はただすばらしかっただけでなく、私たちに多くのことを教えてくれた。
その文化は西洋のそれとはまったく異なった生活様式から生まれたものであって、その文化の中から創り出されたものが、私たちに語りかける。

しかし、文化や芸術作品の優美さ、外的な形態の美しさが、どこまで深く私たちを揺さぶり、私たちのあり方に影響を与えるだろうか、大きな疑問だ。

私たちはただ美しい思い出をとっておきたいだけなのだ。
自分の体験をあまりつきつめて検討したくはない。

それは自分の中の微妙な領域なのだ。


 またある人の場合には、グルが非常に感動的で、意味深い入門の儀式を取り行ったかもしれない。

それはリアルで直接的で美しい儀式だった。
しかし私たちは、その体験をどこまで深く問いただそうとするだろうか?

それはプライベートなことであり、問いただすにはあまりにも微妙な領域だ。

むしろ私たちはその体験の香りと美しさだけを保ち、しまっておきたい。

そうすれば、ダウンな重い時期が来て意気消沈するようなことがあっても、その想い出を取り出してきて、「自分は価値あることをやったのだ。自分は確かに道の上にいるのだ」と自分に言い聞かせ、慰めることができる。

しかしこれではまったく厳しい道とは思えない。


 反対に、私たちは与えるよりも集めつづけてきたようだ。

自分の精神的ショッピングを思い返してみて、自分が完全にそして正しく与えたこと、自己を開き、すべてを差し出したことが一度でもあっただろうか?

 仮面をはぎ取り、鎧もシャツも皮膚も肉も血も、そして最後には心臓までも切り捨てたことがかつてあっただろうか?

 脱ぎ捨て、開き、そしてさし出すプロセスを私たちは本当に経験しただろうか?

 これが基本的な問いだ。

私たちは本当にゆだね、与えなければならない。
大変な苦痛を味わうとしても、何かを捨てなければならないのだ。

これまでに何とか築きあげてきたエゴの基礎的な構造を分解しはじめるのだ。
分解し、ときほぐし、開き、そして捨てる過程こそ、学ぶということの本当のプロセスなのだ。

肉にくいこんで伸びてゆく足の爪のような状態のエゴを、私たちはどれほど真剣に切り捨てようとしているだろうか?
 おそらく私たちは全く何も捨てていなかったのだ。

ただ集め、築き上げ、つけ加えて、エゴの構造を幾重にも重ねてきただけだ。
そのような私たちにとっては厳しい道の展望は脅威でさえある。


 私たちがつねに容易で苦痛の少ない答えを見つけようとすることに問題がある。
しかしこの種類の解決方法は精神的な道では通用しない。

もともと私たちの大部分はこの問題に首を突っ込むべきではなかったのだ。

一度この道にはいったらどんなに苦しかろうと、それに立ち向かわなければならない。

私たちは自分をさらけ出すこと、着物も皮膚も神経も心臓も脳も、すべてを脱ぎ捨てて宇宙に自分をさらけ出す意志を表明したのだ。

あとには何も残らない。
それは恐ろしい身をさいなむような苦痛だ。

しかしそれが道のあるべき姿なのだ。


 ともかく私たちは、見慣れないドクターが自分といっしょにいることに気づく。
彼が私たちの手術を担当するはずだ。

しかし彼は私たちの病気と本当に関わることを望み、麻酔を使おうとはしない。
彼は私たちが精神性という着物を着ることも許さない。また心理的な上品さや、仮病や、その他一切の偽装を許さない。

私たちはいっそのこと彼に出会わなければよかったと思う。
自分で麻酔をかける方法をならっておくべきだったと悔やむ。

しかしもう後には退けない。
出口はないのだ。

それはドクターがパワーをもっているからではない。
いますぐ彼にあいさつをして歩み去ることもできるはずだ。

しかし私たちはすでにあまりにも多くをドクターの前にさらけ出してしまった。
この過程をもう一度くりかえすことは大きな苦痛だ。だから行くところまで行くより他はない。


 このドクターといっしょにいることはあまり快いことではない。
それは私たちがつねに彼の目をごまかそうとし、しかも私たちのそのようなゲームを彼がすべて見すかしてしまうことを知っているからだ。

この手術は彼が私たちと真にコミュニケーションすることのできるただ一つの方法なのだ。

私たちはそれを受け入れなければならない。
私たちは厳しい道、つまりこの手術を受け入れ、自己を開かなければならない。


 「あなたは私をどうしようとしているのですか?」と問えば問うほど、私たちは当惑する。

なぜなら私たちは本当の自分を知っているからだ。
それは逃げ場のない狭い道、苦痛の道だ。

私たちがしなければならないことは、完全に身をゆだね、このドクターとコミュニケートすることだ。

さらにまた私たちはグルの魔術に対する期待をはぎ取らなければならない。
グルが魔術のパワーによって私たちを何か月並みでない、しかも苦痛を伴わない道に導いてくれるのではないかという期待を―――。

痛みを伴わない手術を求めたり、ドクターが麻酔を使って目が覚めたらすべてがOKになるような手術をしてくれることへの期待をきっぱり捨てるべきだ。

私たちは〈精神の友〉や自分自身の人生と完全に開かれた直接的なやりかたで関わること、そして何ひとつ隠しておかないという意志を示さなければならない。

それこそが困難な道、厳しい道なのだ。
スポンサーサイト
最新記事
プロフィール

唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
12 | 2010/01 | 02
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新コメント
最新トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。