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慈悲深く豊かな感性を備えて

「穏やかな心とか落ち着いた心といっても、思いやりがなく冷淡であってはいけません。静かで落ち着いた精神状態とは、まったくぼんやりとした精神状態とか、完全に虚ろになった状態という意味ではありません。落ち着いた心とか穏やかな心の状態というのは、愛情と慈悲に根ざしているのです。それは非常に高度な感受性と感性をそなえたレベルなのです」

ダライ・ラマこころの育て方 35ページ


一見穏やかで落ち着いているようでも、冷淡な人というものはいる。仏教などに関心があったり、瞑想などをしている人で、こういうタイプの人を目にすることもある。また意識が鮮明ではない場合もあったりする。

また修行をしていて、感受性や感性を否定する人もいる。そういったものを超えていかないといけない面はあるだろうが、感性を否定するがあまり、修行者としてうんぬんよりも人としてどうかという場合もよく見かけた。私もそういう時があった。

本当に穏やかで落ち着いた人というのは、慈悲が根本にあり、豊かな感性や感受性を備えているものだと今は思う。ダライ・ラマはそのような数少ない実際の例であると思う。仏教などを学んだり、瞑想をしたりして知識が増えたり、心が静まってくるのはいいが、それよりも落ち着きがあって、なおかつ慈悲深くもあり、豊かな感性を備えていることが、より大切なことなのだろう。

気づきやグラウンディングも大切だが、慈悲や感性といった、いわばハートに属することも極めて重要である。気づきというものがなく、単にハートが開いてるだけではこれまた問題であるが、気づきがあってもハートが閉じていたら、本当の意味での覚醒には至れないように思う。それはどこか欠陥があるのではないか。

ダライ・ラマより高い次元の瞑想体験をしているチベット僧はそれなりにいるのだろう。しかし、ダライ・ラマほど豊かな感性や慈悲を備えている人は、まずいないのではないだろうか?そういう点でダライ・ラマは奇跡的な存在であると思う。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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