スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

タントラへの道 厳しい道 1

誰も私たちを救ってはくれない。

そして誰も魔法を使って私たちに悟りを与えてはくれないところから、私たちがいま話し合っている道は〈厳しい道〉と呼ばれる。

仏教の教えに従うことは、穏やかで平和で悦びと慈悲にあふれたものに違いないという私たちの期待に、この道は応えてはくれない。
それは厳しい道だ。

それはただ、二つの心の出会いなのだ。

もしあなたが心を開き、出会おうとするなら師もまたその心を開く。
それは魔法ではない。

開かれた状況は師と弟子の二人がともに創り出すものだ。


 ふつう、自由と解脱、そして精神的な理解について語るとき、それを得るために自分の方では何もしなくてもよい、誰かが面倒を見てくれるのだろうと考えている人が多い。

「大丈夫、大丈夫。泣くんじゃない。何もかもうまく行く。私が面倒を見てやろう」というふうに―――。

私たちは団体に所属し、加入料を払って会員名簿にサインをし、与えられる教えにただ従いさえすればよいのだと考えがちだ。


 「私はこの団体が正当なものであって、私のあらゆる疑問に答えてくれることを固く信じています。私をどのようなプログラムにでも組み入れてください。もし厳しい状況に置きたいのでしたら、どうぞそうしてください。とにかくすべてをおまかせします」―――

これは自分からは何もしないでただ人の命令に従っていればよいというあ安易な態度だ。
すべてが他まかせ。

誰かがあなたに教えを伝え、あなたを救済し、そしてあなたの欠陥を正してくれるだろう。
しかしものごとはそのようなあなたの期待通りには運ばないものだ。
自分の方では何もしなくてもよいというのは、あまりにも虫のよい願望のようだ。


 道を歩む上で出会うさまざまな困難を切り抜けて、人生の状況に実際に徹底的に、的確に取り組んでいくことは大変な努力を要する。

厳しい道の主眼点は自分の仮面をはぎとり、ありのままの自分の姿を認めていくプロセスの中で、私たちのひとりひとりが努力しなければならないことだ。

自分の足で立とうとしなければならない。
それはむずかしいことだ。


 厳しい道とは英雄が歩む道を意味するのではない。

英雄主義(ヒロイズム)の態度は、自分が本来悪であり、不純であり、価値のない存在であること、そして自分には精神的なものごとを理解する準備がまだできていないという推測に結びついている。

自分は改造されなければならない。
自分ではない自分にならなければいけないというというわけだ。

例えばもしあなたが中流階級のアメリカ人ならば、職業を捨て、大学からドロップ・アウトし、郊外の家を引き払って髪を伸ばし、おそらくドラッグもやってみなければならないだろう。
もしあなたがヒッピーなら、ドラッグをやめて髪を切り、破れたジーンズを捨てなければならない。

私たちは自分が特別な人間、つまり英雄であり、あらゆる誘惑に背を向けていると思いこむ。
菜食主義になったり、あれになったりこれになったりする。
なるべきものにはこと欠かない。

私たちは自分が今まで浸っていた流れに文字どおり逆らっているからこそ、それは精神的な道なのだと考える。

しかしそれは偽りのヒロイズムの道にすぎない。そしてここで英雄になるのはエゴだけだ。
スポンサーサイト
最新記事
プロフィール

唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
11 | 2009/12 | 01
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新コメント
最新トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。