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タントラへの道 自己欺瞞 2

さて、アビシェーカの後に何が起こるのだろう?

 二つの心の出会いを体験したあなたと精神の友との間には、本当のノコミュニケーションが確立された。
あなたは自己を開いたばかりでなく、教えの一部を瞬間的に理解することである内観の閃きをも体験した。
師が状況を創り、あなたが閃きを体験し、何もかもがうまくいってるようだ。


 最初のうち、あなたは非常に高揚していて、すべてが美しい。
とてもハイな、興奮状態が、数日の間続いているのに気づくだろう。
すでに、仏陀の境地に達したようですらある。
世俗的なさまざまの懸念があなたを煩わすことは一切なく、すべてが順調に運び、瞬間的な瞑想がいつも起こっている。

あなたは、グルとともにもった解放の瞬間を、継続的に体験しているのだ。
これは、一般的な現象だ。

この時点で精神の友とそれ以上関わり合う必要はないと考える人もあり、そのまま精神の友からさってしまう例も多い。

東洋においてもこうした例が多かったと聞いている。
ある弟子たちは師に出会い、一瞬の悟りの体験をもつとすぐに立ち去ってしまう。

しかし、その体験を保存しようとしても、時が経つにつれてそれは言葉や概念の単なる記憶になってしまい、自分にむかってむなしくそれらを反復するだけだ。


 おそらくこのような体験をしたとき、あなたが最初にすることは、それを日記に書きとめ、起こったことのすべてを言葉で説明しようとすることだろう。

書きとめたことや記憶によって、あるいはそれについて友人たちと論議したりあなたの体験の証人と話し合うことによって、あなたは自分をその体験にしっかりつなぎとめておこうとする。


 あるいは、東洋に行ってこのような体験を得、西洋に帰ってきた人もいるだろう。

友人たちは彼の代わりように驚く。以前よりもずっと穏やかで、安らかで賢明そうな様子をしている。
彼からの援助や個人的な問題についての意見を求める人がいるかもしれない。

彼らの問題と自分の東洋での体験を結びつけ、自分に本当におこったすばらしいことを放して聞かせる彼のやりかたには、はじめのうち何の嘘もない。
それは彼自身の励ましにもなるだろう。

ところがしばらくすると、こうした状況のどこかが狂ってくる。彼が体験した内観の閃きの記憶も色あせる。

彼がその体験を自分自身の外部にあるものと見なすかぎり、それは永続しない。彼は自分が瞬間的な、覚醒の境地を体験したことは神聖なことであり精神的(スピリチュアル)な体験に数えられることを信じている。

彼はその体験を高く評価し、故郷のごく平凡で身近な人々に伝えた。
自分の敵や味方や両親や親戚やその他あらゆる人々に、そして自分はすでに超越し克服したつもりの愛着の対象にもそれを伝えた。

しかし、その体験はいまは彼とともにはない。
あるのは記憶だけだ。

しかしながら、自分の体験と知恵を人々に向かって宣言したからには、いまさら退きさがって、前に言ったことは嘘でした、と言えないことは明らかだ。

そんなことはできるはずがない。
あまりにも屈辱的だ。

しかも彼はいまだにその体験を信奉している――実に深遠なことがたしかに起こったのだ。

しかし残念ながらその体験はいまの瞬間には存在しない。
なぜなら、彼がそれを利用し評価してしまったからだ。


 ふつう、何が起こるのかと言えば、私たちがひとたび開かれ、(閃き)を体験すると、次の瞬間には自分が開かれたことに気づき、突然それを価値付けようとする考えが起こる。
「わあ、すごいぞ。こいつはしっかりつかまえなくては。捕まえて取っておかなければ。これはめったにない貴重な体験なんだから。」そしてその体験にしがみつこうとする。

つまり、真の開放の体験を何か貴重なものと見なすことから、問題が起こってくる。
体験を捕まえようとするやいなや、一連の連鎖反応が起こり始めるのだ。


 私たちが、何かを貴重なもの、非凡なものと見なすとき、その何かは自分から切り離される。

例えば私たちは自分の眼や身体や手や頭がそれほど貴重なものとは思わない。
それらが、自分の一部であることを知っているからだ。

もちろんそれらをなくしたりしたら、非常な貴重品をうしなったような大騒ぎをする。「頭をなくしてしまった。腕をなくしてしまった。もうつけ換えることはできない・・・・・・」。

そのときになって、私たちはいかに大切なものを失ったかを知る。
自分から何かをもぎとられて、はじめてその価値を知るのだ。

しかし、つねに自分とともにあり、自分の構造の一部であるものを特別に評価することはできない。
それはただあるのだ。

価値づけは、何かから切り離されることへの恐怖から生まれ、その恐怖こそ、私たちを切り離している原因でもあるのだ。


 私たちがあらゆる瞬間的な霊感を異常に重要視するのは、それを失いたくないからだ。

そのとき、その瞬間、自己欺瞞がしのびこむ。言いかえれば、私たちは開放の体験に対する確信、体験と自分が一体であることへの確信を失ったのだ。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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