スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

タントラへの道 グル その1

精神的な修行をするにあたって私たちは、ラマ、グルなどの呼び方は何であれ、私たちに精神的な理解を与えてくれるはずの人物とどのように関わるべきかという問題にぶつかる。

このような名称、とくにグルという言葉が西洋にはいってきてから、さまざまな意味や連想がそれにつけ加えられた。

それは精神的な師について学ぶことの本当の意味を人々に誤解させ、一般的な混乱を増すことに役立っている。
これは、東洋人はグルとの関わりかたを知っていて西洋人は知らないということではなく、普遍的な問題なのだ。

人々が精神修行に来るとき、修行によって得るものが何であるのか、またそれを与えてくれるはずの人物に対してどのようにふるまうべきか、すでに確かな考えをもってやって来るのが常だ。

この、グルから何かを得るという考え―――幸福、心の平安、智慧その他なんであろうと、自分の求めるものをグルが与えてくれるのだという考えこそ、あらゆる先入観の中で最も厄介なものだ。

そこで高名な昔の弟子たちが、精神性そのものやグルたちと関わるうえでの問題をどのように解決したかを調べてみるのは有益なことだと思う。
それらの例はおそらく私たちひとりひとりの探求にもつながっているのだろう。


 チベットの最も高名な師のひとりであり、私が属するカーギュ派の重要なグルであるマルパはインド人の師ナロパの弟子であり、のちには彼自身、名高いミラレパを精神的な息子としてその師になった。

マルパはまったく自力で成功への道を歩いた男の一例だ。
彼は農家に生まれたが、青年時代から志に燃え、身を立てる道として学者と僧侶を選んだ。
その時代の地方的な宗教的因習の中で、農民の息子が僧侶の地位に這い上がるためには、どれほどの決意と努力を要したかは想像にかたくない。

十一世紀のチベットで彼のような境遇にあるものが地位と呼べるものをえることのできる道ははごく限られていた。
商人か盗賊か、とりわけ僧侶ぐらいのものだったろう。
当時地域的な聖職につくことは、今で言えば医者と弁護士と大学教授を兼ねるほど体操なことだったのだ。


 マルパは、チベット語、サンスクリット語、その他の数ヶ国語に加えて、インドで会話に使われる言葉の勉強から始めた。
約三年間、そのような勉強を続けたのち、学者としてじゅうぶんな収入が得られるようになると、それを宗教的な勉学の資金に当て、いよいよ仏教僧侶たるべき人生の途上にあった。

彼の地位はその地方では相当なものであったが、マルパの志はさらに高く、すでに結婚して家庭を持っていたにもかかわらず、貯蓄に励んで多量の黄金を貯えた。


 そこで彼はインドに旅して、さらに多くの教えを集める意志を親類縁者に表明する。
当時のインドにはナーランダ大学をはじめ、偉大な聖者、識者の数々が集まっていて、まさに仏教研究の世界的な中心地であった。

マルパの意図は、チベットにまだ伝えられていない経典を学び、集めて持ち帰り翻訳すること、それによって彼自身も権威ある翻訳学者としての地位を築こうというものだった。

当時はもとよりつい最近まで、チベットからインドへのたびは、危険を伴う長い道のりであったことから、家族も年長の者たちもこぞって彼を思いとどまらせようとした。
しかしマルパの決意は固く、ついに学者仲間のひとりとともに旅立ってしまう。


 何ヶ月か困難な旅を続けたのち、彼らはヒマラヤを越えてインドにはいり、ベンガルに着く。
そこから二人は別々の道を取ることにする。言葉にも宗教にもじゅうぶんに通じていた二人は、それぞれの好みに合った師を探すことに決めたのだ。そして修行を終えた暁には、再開してチベットへの帰途ともにするやくそくをして別れた。
 

 ネパールを旅している間に、マルパはナロパという非常に高名な人物の名前をたびたび耳にした。

ナロパは、世界にかつて存在した仏教研究センターの中で、おそらく最大のものであるナーランダ大学の学長をしていたことがある。
そのような顕職にありながら、自分が教義の真の意味を知らずして観念の理解だけに安んじていることを感じたナロパは、その地位を捨て、グルを求める旅に出る。

そしてティロパ師に出会い、彼のもとで十二年間、すさまじい辛苦に耐えて修業したのち、ついに悟りを開いたのだ。

マルパが耳したうわさでは、ナロパは史上に残る最高の仏聖のひとりとされていた。
マルパがナロパを探そうとしたのは当然だ。


 ついにマルパがたずねあてたナロパは、ベンガルの森の中の粗末な小屋で、細々と暮らしていた。
ナロパともあろう偉大な師ならば、きらびやかな神秘の高座におさまっているに違いないと想像していたマルパは、少なからず落胆した。

しかしマルパは外国インドの異様さにまごついていた矢先なので、おそらくこれがインドの師たちいの生活様式なのだろうと思い直した。
またこれまで聞いていたナロパの名声が彼の失望をすぐに吹き払い、彼は持参した黄金の大部分をナロパに差し出して教えを乞うた。

彼は自分がチベットからやって来た妻帯者の僧侶、学者そして農民であること、自分で築き上げた生活を捨てるつもりはないが、さらに多くの教えを集めてチベットに持ち帰り、それを翻訳して収入を増す道にしたいことなどすべてを説明した。

ナロパはマルパの懇願をごくあっさりと受け入れて彼に教えを授け、こうしてすべてが順調に進んでいった。
スポンサーサイト
最新記事
プロフィール

唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
06 | 2009/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新コメント
最新トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。