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外にはない

質問者 どういう意味で、私たちの真の本性が幸福あるいは至福だと言われるのでしょうか?

マハルシ 完全な至福がブラフマンなのだ。完全な平和は真我に由来している。唯一存在するもの、それが意識なのである。幸福と呼ばれるもの、それが真我の唯一の本性である。真我とは完全な幸福以外の何ものでもない。幸福と呼ばれるそれだけが存在している。その事実を知って真我の本性にとどまり、永遠の至福を享受しなさい。

もし外面的な原因や自分の所有するものが幸福の原因だと考えるなら、所有するものが増えれば幸福も大きくなり、所有するものが減るにしたがって幸福も少なくなると結論することは理にかなっていると言えるだろう。そうすると、もし所有するものが無ければ、幸福はありえないはずである。実際の体験ではどうだろう?それはこの考えと一致しているだろうか?

深い眠りの中で、人は自分の身体も含めて何も所有していない。それにもかかわらず、不幸であるどころか、まったく幸せだ。誰もがぐっすりと眠ることを望んでいる。つまり幸福は本来人に備わったものであり、外的な原因によるものではないということである。人に生来備わった純粋な幸福の扉を開くためには、真我を実現しなければならない。


あるがままに ラマナ・マハルシの教え


真我を体得するしないは別にしても、外側に幸福は無く、内側に存在する、ということはよくよく考えると理解できるし、体験もしやすいのではないかと思う。

所有をすることが幸福であると考える人は、現代社会では多いだろう。しかし、それが本当に幸福かと言えばそうではない。所有をしていても幸福でない人はいるし、所有をしていなくても幸福な人はいる。むろんそうでない人もいるだろうが、幸福であると感じるのは、外側ではなく内側である。そして所有をしていても、失われれば不幸を感じるが、所有をしていない人はそういうことはない。そして、内側にこそ幸福の源があると理解していれば、常に幸福でいられることになる。

ぐっすり眠ることで幸福を感じたことがある人は多いだろう。私もそれを感じることは多い。眠りでは所有をしていないが、幸福を感じる。もちろん眠りでは本当の意味での幸福にはいたらないが、本来幸福が外側ではなく、人には生来備わっているということを理解するにはいい題材であろう。

外側に幸福の源があるというのは錯覚であり、ここから脱却できれば、本来の幸福へ近づいたことになるだろう。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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