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みずからの本質

心の本性は空であるけれども、思考(分別)は、途絶えることなく生じ続ける。心の本性というのは、現象ではなく、心の真実のありようを指すから、空だと言える。空でありながら、しかも、光明があらわれてくる可能性をはらんでいるのである。

気を付けなければならないのは、光明があらわれてくるといったからといって、光やブッダや浄土があらわれてくるとはかぎらないということだ。今、何か考えているとしよう。その思考そのものが、光明の発現だといえる。思考から思考が生まれ、成長する。からっぽの空に、巨大な雲が出現するのである。

けれども、だからといって、空が雲を「作った」わけではない。思考も同じだ。思考は光明と結びついている。しかし、それは副次的な条件(縁)と結びついてあらわれてくるのであって、副次的条件(縁)がなければ、思考も存在しない。

逆に、思考が存在しないからといって、光明が存在しないことにはならない。光明はつねにそこに存在している。光明とは、空性に内在されている潜在エネルギーだ。

さて、このように、空性と光明がわかちがたく一体になっているのが、わたしたちの本来のありかただとするなら、そのことを本当に理解し、悟るにはどうしたらいいだろうか?

悟るための唯一の道は、体験である。みずからの存在のありようを理解するには、体験を通じて理解するしかない。身体、言葉、心、(身、口、意)と深く結びついた体験をつうじて、はじめて、自分の本質を理解することができる。

身体と深く結びついた体験としては、深い純粋な快楽(大楽)や、それ以外のさまざまな感情や感覚がある。

浄土やブッダといった清浄な顕現は、言葉ないしエネルギー(口)と深く結びついており、光明の体験と呼ばれる。悪しきカルマから生まれる不浄な顕現や思考も、光明と結びついている。

またシネー(止)の瞑想をつうじて、静寂な空の境地を体験することもできる。静寂な境地は、こころ(意)と深く結びついているといえる。

こういった様々な体験を使い、それをつうじて、みずからの本質を発見するのである。

みずからの真の本質を、チベット語で「リクパ」(明知)と呼ぶ。その反対がマリクパすなわち無明である。無明とは、みずからの本質やそこに内蔵されている潜在エネルギーのありようついて無知であることだ。そういう無知から解放され、みずからの本質を具体的に理解したとき、それをリクパと呼ぶことができる。心の本性は空であるけれども、同時に光明の潜在エネルギーが内蔵されている。そのことを直接に理解するのである。


チベット密教の瞑想法  ナムカイ・ノルブ著



みずからの本質は、空であり、光明を内在させている。このことを悟るには、頭で考えているだけでは駄目で、体験が必要とされる。それは確かにその通りであろう。しかし、みずからの体験を絶対視してしまうことは、非常に危険である。そのために師匠が存在するのであろう。しかし、師匠を絶対視することもまた危険である。悟るには、常に冷静でいることが大切である。これは他人に冷淡でいることと全く別のことである。

ゾクチェンは、みずからのありようを、直接的に理解する道だという。このことは何となくわかるが、まだまだ本質的な理解には至っていない。もっと瞑想してみて、その意味合いを理解していきたいものである
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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