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境界がない

昨日は知り合いと対面でセッションをする予定だったが、知り合いの都合が悪くなり、それは延期となった。私はそれを楽しみにしていたので少しだけがっかりしたが、「木曜は自宅最寄り駅近くの映画館で1000円で映画を見られる日だった」と思い起こし、「007スカイフォール」を見に行った。作品としての評価が高く、興行収入においてもいままでの007シリーズで最高となるだろうというほどの出足を見せている。しかし仕事場の同僚がつまらなかったと酷評していたので、どんなものか見てみたかった。


前半は少し退屈だったが、悪役であるハビエル・バルデムが演じるシルヴァが登場してから俄然面白くなってきた。ハビエル・バルデムは「ノー・カントリー」でアカデミー主演男優賞を受賞しているが、ここでの悪役ぶりがものすごい。もはや単純な悪というものを超えている。今回も深みのある悪役を好演していた。一人の役者が登場するだけで、映画がガラリと変わってしまった。


今までの007映画を踏襲しているが、荒唐無稽さが抑え気味かと感じた。そこが評価の分かれるところであるかもしれない。アカデミー賞監督のサム・メンデスが監督しているので、少し格調高い雰囲気となっていた。ボンドの今まで明かされなかった面にも触れており、私は非常に満足した。映画を見る前に少し落ち込んでいた気分もすっかり晴れていた。


夜になってセッションを行う予定だった知り合いとスカイプができることになった。最初の数分は直接話しをしていたのだが、すぐに通話ができなくなってしまった。そこでチャットでのやり取りに切り替えた。スカイプでセッションを何度かしているが、直接通話しなくてもできるかためしてみたかったので行ってみた。


まずはエネルギーワークから始めた。エネルギーワークをすると意図したとたんに、エネルギーが流れていくのがわかった。終わってからチャットでどうだったか聞いてみると、頭のほうでエネルギーがきてる感じがチカチカしてボディのほうに意識あわせると水槽みたいな浅い海みたいのにいて全体的に包まれてた。フワフワした感じで、とても心地よかったとのことだった。スカイプにおいて通話でなくてもセッションができることがわかった。


次には私が瞑想してそれに共鳴することをやった。15分だったがあっという間に15分経った。どのような感じがしたか確認してみると、私が瞑想してからすぐに抵抗を感じ、お腹も動き出したが、サードアイに意識を集中すると、深く入れた感じがしたということだった。私は根源とつながるような瞑想をしていたのだが、それに間違いなく反応しているのがわかった。


セッションはうまくいったが、私自身にも大きな恩恵があった。瞑想をしていると、いつものように今ここにただ在るという状態になったが、その時にはよく広大無辺とか深みというものを感じるが、その時はそれすらなく、本当にただ在った。広いとか深いというのも限界があるが、ただ在るには限界がない。境界が存在せず無境界である。このことを今までにないくらい実感した。広い狭い、大きい小さいもなく、ただそこに在る。「それ」とか「これ」としか表現のしようがない。おそらく一人で瞑想していたら、このことに気付けなかっただろう。お互いに共鳴することでより深い気づきが生じたと思う。


昨日は映画も見れたし、スカイプのセッションはうまくいったし良い日となった。最初に意図したものと違う流れになっても、心を動かしたり憂いたりする必要もないのだ。


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今自分に合ったもので

先日知り合いと一緒に多摩湖周辺に行ってきました。多摩湖は特にパワースポットとして有名でもなく、近くに神社仏閣があるわけでもないですが、そこにいるだけで心身が洗われていくようでした。パワースポットや聖地として有名でなくても、素晴らしいところは多々あります。


確かに緑が多く、空気が綺麗なところに行くのはとてもいいことですが、一緒に行った知り合いと話したことは、場所にこだわったり、環境を整えることも大事だけど、目覚めてくればそのことにあまりこだわり過ぎる必要もない、ということでした。瞑想をしたり自分の内側を見つめるには、良い場に行ったり環境を整えることも大事ですが、ある段階までいくといついかなる時でも、どのような場所でもワンネスや私は在るということを体得できてきます。それは常に在るものであり、そのことを理解すれば、時間や場所に左右されなくなってきます。


とは言うものの、最初からそのことを体得するのは難しいので、聖地に行ったり環境を調えることも意味はあります。そして色々な技法を用いることもそれが合う人にとっては非常に有効でしょう。自分自身ではあまりやらないですが、技法を用いることで気づきが深まる人に対しては、それを教えることもあります。しかし最終的にはそれらを一切手放すことになります。


この世で生きている私たちは、みんなそれぞれ違いがあります。ですからみんなが同じやり方でうまくいくわけではありません。パワースポットや聖地に行くことで覚醒していく人はそうすればいいし、技法を用いて目覚めが深まる人はそうすればいいでしょう。そして全てを手放し何もしないでただ在る人は、それだけでいいのです。

近頃感じたこと

先週は瞑想リトリートに参加し、先日の週末は合同でのワークショップを行いましたが、そこで感じたことは非常に深みのある沈黙の静寂でした。それはただ静かなだけではなくある種のパワーというものがあり、それは粗雑なものではなく、繊細でありながら力強さもあるというものでした。以前から感じてはいたのですが、より深みを増してきたように思えます。


数年前は何日か泊りがけで修行したり瞑想したりすると、その時はいいのですが日常に戻るとあまりのギャップにすぐ落下していました。しかし一時的にエネルギーを強め、意識をハイにするものではなく根源に到達していくものでは、日常と瞑想時の差がなくなってきます。日常そのものが瞑想になってくるのです。


そして人と接することで修行や瞑想で培ったものが落下することが以前はありましたが、合同のワークショップで瞑想をリードしていると、一人で瞑想したり瞑想会やリトリートなどで瞑想する時よりも、より深みのある沈黙の静けさを感じます。今までの概念がどんどん崩れてきています。


今までの違いというのは、ハートにポイントがあります。かつてはエネルギーを上げ、チャクラでは上部のチャクラに意識を向けており、ハートにはまるで注意を払ってきませんでした。しかしハートに意識を向けるようになってからは、より深みや広がりを体験し、慈愛が強まってきています。目覚めや覚醒というものに、ハートが不可欠であることをより実感しています。


もうすぐマヤ歴が終わり、それにともなってアセンションが起こると考えている人たちもいるようですが、私はその時に全体的に一気に引き上がるとは思いませんが、少しずつ恩寵が強まり今までとは違ったものが起こってくるだろうという予感があります。それがどういうものかはまだはっきりしていませんが、いずれはっきりしてくるでしょう。それは楽しみではありますが、それに過剰な期待をすることなく日々今ここに在りたいと思います。

いかに今を生きるか

悟るか目覚めるというと、あたかもそれがゴールであるかのごとく感じられます。しかし、それは最終地点ではなく、あくまでもスタートであり、それからがとても大事なことです。今までは悟りか覚醒が特別なことであると考えられてきましたが、これからはその観念が崩れてくるでしょう。今まで以上に多くの人が目覚めてくることになるでしょう。これは私の実感でもそうですし、私の周りでもそう言っている人が増えています。


覚醒体験を瞬時でも体験することは、実際のところは多くの人がそれを経験しています。しかしそのことに気づかずにそれが終わってしまったり、その体験が日常に生かされることがないケースも多いです。瞑想中に素晴らしい体験をしました。私は悟りました。という人もいますが、その人が日常には苦しみの中にいたり、人としてどうなのか?という例をよく見聞するにつれ、目覚めることも大事だがそれで終わりではなく、それからがスタートであるということを実感しています。


単に悟りの体験をするより、今をいかに生きるか?それこそが真に重要なことです。日常と非日常を分離していては、それは本当の悟り、覚醒ではないでしょう。瞑想をしたり、悟りや目覚めに関心のある人には日常を軽視する人も多いですが、それは全くもってナンセンスと言えるでしょう。

覚醒するとはシンプルなもの

昨日は目覚めている、目覚めてきていると感じられる方々と一緒に座り、共鳴をしていました。始まる前からすでに意識の目覚めが感じられ、それはそこに存在することを感じていました。地球を意識すると地球が感じられ、個々人と対面していくとその人それぞれの実存が感じられましたが、段々と明確な違いもなくなっていき、そこにシンプルにただ在るというようになっていきました。


以前はよく行をしたり瞑想したりしていて、ダイナミックな体験や、強烈なものを求めていましたが、そういう欲求が次第になくなっていき、今では体験や感じられることも非常にシンプルになっています。そして覚醒とはそういうものだということがはっきりしてきました。


一人で瞑想したり、大勢の人と共に瞑想したり共鳴していると、エネルギー的なものを感じることが多かったですが、近頃ではそれも真我や空の一側面に過ぎず、エネルギーの根本、エッセンスというものを体感しているように思えるのです。初めは強烈なエネルギーを感じたりするものですが、次第にそれも落ち着いていき、微細なものとなり、最終的には根源に触れただ在るという状態になっていきます。


ディズニーランドには多くの人が訪れます。そこでは五感が常に刺激され、夢のワンダーランドが展開されています。多くの人がそういうことを求めているから、ディズニーランドには人が絶えず訪れます。しかしそれはあくまでも幻想であり、そこに本質はありません。そういった夢のワンダーランドから離れていく人も、まだ少ないですが少しずつ増えてきています。目覚めてくるとディズニーランド的なものから段々離れていくのです。


しかし、真の覚醒はそういうものから単純に離れたり嫌悪したりするのではなく、それはそれで受け入れ、しかしそれに引きずられることはなく、シンプルにただここに在るのです。そのことを昨日は改めて思い起こさせてくれました。このような機会があることにとても感謝の念がわいてきます。
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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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