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委ね、寛ぎ、休むこと

「委ねることで、わたしは実相を見
くつろいで休むことで、すべてのものの空性を悟る

わたしは無為にして本然の境地に辿り着き、委ね、放つ。
そして自覚の流れの中で、浄らかなものと不純なものは一つとなる」

ミラレパの十万歌




ミラレパは師であるマルパから、塔を建てては壊し、ということを繰り返される筆舌に尽くしがたい試練を経て、実相を見て、本然の状態に至りました。釈迦もそうですが、無暗に厳しいことをやっているだけでは目覚めることはなく、委ね、寛ぐことで目覚めていくのです。ここはとても大切なことです。


私たちは何かをしっかりと行うことで、物事が達成できると思いこんでいます。それは在る一面では正しいでしょう。しかし、すべてのものの空性を悟るには、何かをして達成するのではなく、委ね、寛いで休むことによってなされるのです。そして清らかなものと不純なるものという区別も崩壊し、一切が分かつことのできない、非二元であることを見いだしていくことになるようです。


もちろんここで委ねるというのは、誰か特定の人格や教えといったものではありません。そこを勘違いすると大変なことになります。ですが、委ねることをそのように思いこんでいる人も少なくはないようです。特定のこういうもの、と指定できるものではなく、そういうことを超えたものに委ねることです。

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マルパがミラレパに与えた試練

チベットのあらゆる聖者の中で、最も広く知られており、また敬愛されているのがミラレパであろう。チベット仏教カギュ派の祖であるが、権威や巨大な教団というものを否定し、常に質素な格好で遊行していた。しかし、その教えや人柄に惹かれ、多くの弟子が自然に集まった。仏陀の境地を成就した偉大なヨーガ行者として名高いが、若いころには非常に苦労しており、その物語がまた多くの人々の心を打ってきた。


以下はウイキペディアからの引用。


ミラレパは、西暦1052年チベット南部のネパール国境に近いクンタン地方のキャンガ・ツァと呼ばれる地(現在の西蔵自治区の吉隆県)にて、チベットの名家であるキュンポ氏族の父ミラ・シェラプ・ギャルツェンとニャン地方の王族の末裔の母カルモ・キェンとの間に生まれた。本名はトェパガ(聞喜)といい、妹ペタ・ゴンキーとともに何不自由のない恵まれた幼少時代を送る。


7歳のころ父が病死してからは、父の莫大な遺産を強奪した叔父ユンドゥン・ギャルツェンと叔母キュン・ツァ・ペルデンによって、一家は召使いの身分に貶められて虐待され、ボロを着て食べる物にも事欠く、苦悩に満ちた悲惨な生活を強いられる。



一家を不幸のどん底に陥れた叔父と叔母に、激しい憎悪を抱く母の悲願を受けたミラレパは、復讐のために黒魔術を学び、修得した呪法によって叔父一家や虐待に加わった村人たち35人を呪殺し復讐を遂げる。さらに雹嵐を起こす呪法によって村のすべての農作物を壊滅させてしまう。こうしてミラレパは黒魔術によって巨大な悪業を積んでしまったという。



その後自らの悪業の報いに恐れを抱いて真の仏法を求めるようになったミラレパは、ニンマ派の奥義ゾクチェンを成就した高名なラマ、ロントン・ラガに弟子入りしたが、ラマに帰依することが出来ず、何の霊的進歩も起こらなかった。 そこでロントン・ラガは、ミラレパに前世からのカルマ的な因縁のある、別のあるラマの下に行かなくてはならないと告げる。


そのラマこそが、ミラレパの生涯の師となるマルパ・ロツァワであった。マルパは、インドの聖者ナーローパ、マイトリーパら直伝の新訳密教の法脈を伝える成就したラマであり、訳経師であった。ミラレパはマルパの名前を聞いただけで心が喜びに満たされ、戦慄が全身を貫いて髪の毛は逆立ち、涙はこぼれ、激しい信仰心が呼び起こされたという。


ロントン・ラガの下から送り出されたミラレパは、ロダクという谷にあるトールン村の僧院に住むラマ・マルパを訪ねて、入門を乞うた。


マルパはミラレパが初めて自分を訪ねて来た日の早朝、ある霊的な夢を見ていた。師であるナーローパの命で、わずかに汚れた水晶の金剛杵(ドルジェ)を甘露で洗い勝利幡(ギャルツェン)の上に掲げると、それはまばゆいばかりの光を放ち、その光を浴びた六道の有情がすべて済度されて至福に満たされ、勝利の神々が上方から祝福を述べているという夢であった。また妻のダクメマも同様の夢を見ており、これらによりマルパは、ミラレパが師ナーローパとダーキニーによって授けられた特別な弟子であることを最初から知っていたのであった。



しかし、ミラレパには大いなる試練が待っていた。マルパはミラレパに「塔を独力で建設せよ」と命じ、途中まで完成させると「それを解体して材料を元の場所に戻せ」と命じそうさせた。このように、マルパは場所と設計を変えて塔の建設と解体を何度も繰り返させるという、理不尽で過酷な肉体労働を、長期間にわたってミラレパに課した。 またマルパは、激怒して公衆の面前で、ミラレパを罵倒、殴打し、蹴り上げるなど、過酷な仕打ちを繰り返した。 さらにマルパは、密教の灌頂を受ける弟子たちの輪からミラレパだけを何度も追い出すなどして、ミラレパが切望する教えは弟子たちの中でミラレパだけには決して与えなかった。


これらはすべて、前半生で積んだ巨大な悪業を浄化するために、師マルパが深い智慧と慈悲によってミラレパに与えた試練であった。 ミラレパはそれにより肉体を負傷し、何度も後悔と絶望の淵に投げ込まれ、最後には今生で教えを授かる望みをすべて失ってしまい、自殺を図ろうとする。



ここに至って、ミラレパの悪業がほとんど完全に浄化されたことを知ったマルパは、ついにミラレパを密教の弟子として受け容れ、先の夢によって聖者ナーローパによって授けられた法名である「ミラ・ドルジェ・ギャルツェン(ミラ姓の金剛の勝利幡)」および「ミラ・シェパ・ドルジェ(ミラ姓の笑金剛)」という法名と潅頂を与え、奥義を伝授し、隠棲修行に入らせた。マルパの下での修行によって、ミラレパは密教の最奥義、マハームドラーを成就し、さらにマルパの護持するカギュ派の法脈の後継者として、「チャクラサンヴァラ・タントラ」「へーヴァジュラ・タントラ」「ナーローの六法」など法脈のすべての灌頂と奥義を伝授される。>




この後ミラレパは修行を積み、完ぺきな悟りを得て、衆生済度をしていくが、師であるマルパの指導によるところが非常に大きい。マルパはミラレパに筆舌に尽くしがたいような試練を与え、ミラレパは何度か挫折しそうになりながらも、マルパからの試練に耐えて、大いなる悟りへの第一歩を踏み出した。


ここでマルパがミラレパに与えた試練である塔を独力で建設し、それを解体することを繰り返すのは、ミラレパが黒魔術により多くの人を殺害したことによる悪業を浄化するためだった、というのが通説であり、確かにそれはあるだろうが、先日知り合いと話していて、それだけではないのではないかと感じた。


ミラレパは黒魔術による悪業をひどく悔いており、それに思考が完全に支配されていた。その思いがある限り、決して覚醒することはない。それが塔を建てては壊しを繰り返していると、段々余計なことが考えられなくなっていく。初めのうちはミラレパも「なぜこのようなことを指示されるのか?」という疑問にさいなまれただろう。


しかしまずその時点で、過去の悪業に対する思考はなくなっていき、終いには余計なことを何も考えられなくなっていただろう。ミラレパは自殺を図ろうとし、そこで塔の建設と破壊の試練は終わりを告げるが、悪業が浄化されたから試練が終わっただけでなく、過去への痛恨と、悪業への恐怖という思考や感情から解放されたからとも言えるのではないか。悪業というと漠然としているが、悪業に関する思考や感情からの解放であれば、より具体的である。知り合いがこのような見解を述べ、私もそれに納得した。


また、マルパはミラレパに塔を破壊させただけでなく、その跡地を元通り平らにするように指示したようである。これにもまた深い意味があり、塔を建てては壊すのは、まさしくミラレパの内面の投影でもある。跡地を平らにすることで、ミラレパの内面もまた波が静まり、穏やかになっていく狙いもあったのではないかという見解も知り合いが述べて、これにもまた私は深く納得した。悪業の浄化ということだけでなく、更に深い意味合いがマルパのミラレパに対する試練にあったのだ。


ミラレパは数多くの詩を残しており、それらはとても深い内容だが、それを読むとミラレパが肉体や思考や感情というものにまるでとらわれていないことがわかる。それこそまさに悟った状態だが、それが若き日にマルパから与えられた試練によって培われてきたことは疑いない。マルパとミラレパの物語は、これからもずっと語り継がれていき、多くの人々に感銘を与え続けるのだろう。

自分を救う時は今

いざすすめ、狩人よ
たとえ雷鳴が轟いても
その音は空(くう)
色とりどりの虹も
たちどころに色褪せる
この世の快楽は夢のごときものなのに
一時の享楽に酔い、罪をつくる

恒常にみえるものも
たちまちのうちに崩れ、四散する
昨日、この手が満たされても
今日はすべて失われ、何一つ残らない
去年生きていた者も、今年には死に
ご馳走も毒と化す
己れの罪によって傷つくのは己れ自身
人(ひと)百人いても、一番大切なのは自分自身
十本指があっても、その一本でも傷つくと、痛い痛いと大騒ぎ
なによりも大切なのはこの自分---。
ならば、この「自分」を救う時は今

人生は瞬く間に、すぎさっていく
すぐに「死」がおまえの扉をたたくであろう
だから信仰の道に入るのを先へ先へと延ばすのは愚か者のすること
いとしき者たちよ
お前たちは、人を悲しみに突き落とすこと意外なにもやっていない
これからは幸せを求めて精進せよ
今、大切なのはそれを求めること
「導師(ラマ)」にたよるべきは今、
「仏法(ダルマ)」を修めるときは今


ミラレパの十万歌より

委ねること

「己をありのままに見つめることで精髄を識る
わたしは言葉あそびを超えたるものを空のごとくはっきりと見る
委ねることで、わたしは実相を見
くつろいで休むことで
すべてのものの空性を悟る
わたしは無為にして本然の境地に辿り着き
委ね、放つ。そして自覚の流れの中で
浄らかなものと不純なものは一つとなる」

『ミラレパの十万歌』より


まずは、ありのままに見ることで、己というものを正確に理解する
ことになる。それから委ね、くつろぐことで、本質に至っていく。

ここで言われている委ねるとは、もちろん外的なものに委ねるので
はない。内的な本然のものに委ねることになる。そして己が本然そ
のものとなる。

目覚めるには

「存在の究極の、あるいは真実の本性に関する限りにおいて、そこには仏陀たちも、悪魔たちもありはしない。自らを恐れと望みから、善と悪から解き放つ者こそ、混乱の空虚ないわれなき本性を悟るであろう。サンサーラ(輪廻)はそのとき、それ自身マハー・ムドラー(大印)として立ち現れるであろう」

ミラレパの十万歌より


究極の状態においては、神も仏もない。それに依存しているだけではなく、自らの本質を見極めないといけない。そして、恐れと望み、善と悪といった二元の状態から解放されることで初めて、本性を悟るのであろう。
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プロフィール

唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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