ただ在ることを共有して
先日の瞑想会に参加していただいたFさんから、感想のメールを送っていただいたので、それをご紹介しようと思います。Fさんは私が定期的に参加している瞑想会を主催されている立場の方で、そのような方が私が主催する瞑想会に参加してどのような感想を抱くか楽しみでもあり、若干の不安もあったのですが、その不安は杞憂に終わりました。
先日の瞑想会は本当によかったですね。
正直なところ、ちょっとわさわさ(?)とスタートした感がありましたが、最初のシンギングボウルで一瞬にして内なる深みへとシフトできました。短時間の瞑想会においてシンギンブボウルはとても効果的ですね。
今回、瞑想会に参加させていただいたのにはいくつか目的がありました。
ひとつは「ただ在る」ことを意識して、初めての瞑想会で初めて逢う方たちと接してみたいということ。そうすることで普段気づいていない自分が見えてきそうな気がするから。
もうひとつは「ただ在る」ことで生じる自分や場への影響を体感してみたいということです。
瞑想を終えて一番感じたのは、場所や参加人数とは関係なくそれぞれの人の内的経験がそのまま共鳴しあってフィールドが形成されているということでした。
また、私自身としては終始リラックスしていられましたし、静けさの中で「ただ在る」ことはとても容易でした。
実は、この「ただ在る」ことがどれほど人格の変容や浄化を促すものか?ということが、ずっと私にとって一番の関心事でした。
今回、自分の古い思考や感情のパターンなどが「ただ在る」ことのエナジー・フィールドによって、まったくちっぽけなとるに足らないものであることを体感することができ、長年の問いに答えを得たといえます。
日常生活のいろんなしがらみの中で、絶えず「ただ在る」状態に留まり続けるのは至難の技に感じられますが、 このように気軽に参加できる瞑想会に定期的に参加することで、日常生活と「ただ在る」とが整合していく感じがします。
そして願わくば、瞑想会に来られる人たちが参加者というより、自分もこのフィールドに影響を与え作り上げてるひとりという意識をもたれたら(実際にそうなんですけど)、その人にとっても場にとっても進化の可能性は無限でしょう。
瞑想は心地いいもの、そして瞑想によって日常生活のクオリティも変容するということをこれからも発信していただけたらと思います。
本当の自分で在ること、その自分として人と関わること、それ以上ものは存在しないと思いますから。
いい体験をありがとうございました。
瞑想をするものではなく「ただ在る」ことであると理解できたのは、Fさんが主催されている瞑想会に参加してでしたが、それが私が主催するものでも起こったので、とても嬉しく思いました。
参加者の方々にそれぞれエネルギーワークを行ったのですが、参加者のみなさんそれぞれが高位のチャクラが開いていて、質の高いエネルギーが感じられたのですが、Fさんは特に繊細な領域と繋がっていることが感じ取られました。長年に渡って「ただ在る」ことを体験されているので、それも当然だろうと思いました。
Fさんが感じられたことは特別なことではなく、誰でもそれを本当は体験していることですが、日常に埋没することでそれを理解できません。Fさんからメールをいただき、このことを少しずつではありますが、発信していこうと改めて決意しました。
今月は14日と16日にも瞑想会を開催します。まだ参加枠に余裕があるので、参加希望される方はご連絡お願いします。また来月の5日、日曜日にも瞑想会を午後の一時から七時ごろまで開催する予定です。二部構成にするので、どちらかに参加していただいても結構ですが、もちろん通しで参加できる方はそちらをお勧めします。
先日の瞑想会は本当によかったですね。
正直なところ、ちょっとわさわさ(?)とスタートした感がありましたが、最初のシンギングボウルで一瞬にして内なる深みへとシフトできました。短時間の瞑想会においてシンギンブボウルはとても効果的ですね。
今回、瞑想会に参加させていただいたのにはいくつか目的がありました。
ひとつは「ただ在る」ことを意識して、初めての瞑想会で初めて逢う方たちと接してみたいということ。そうすることで普段気づいていない自分が見えてきそうな気がするから。
もうひとつは「ただ在る」ことで生じる自分や場への影響を体感してみたいということです。
瞑想を終えて一番感じたのは、場所や参加人数とは関係なくそれぞれの人の内的経験がそのまま共鳴しあってフィールドが形成されているということでした。
また、私自身としては終始リラックスしていられましたし、静けさの中で「ただ在る」ことはとても容易でした。
実は、この「ただ在る」ことがどれほど人格の変容や浄化を促すものか?ということが、ずっと私にとって一番の関心事でした。
今回、自分の古い思考や感情のパターンなどが「ただ在る」ことのエナジー・フィールドによって、まったくちっぽけなとるに足らないものであることを体感することができ、長年の問いに答えを得たといえます。
日常生活のいろんなしがらみの中で、絶えず「ただ在る」状態に留まり続けるのは至難の技に感じられますが、 このように気軽に参加できる瞑想会に定期的に参加することで、日常生活と「ただ在る」とが整合していく感じがします。
そして願わくば、瞑想会に来られる人たちが参加者というより、自分もこのフィールドに影響を与え作り上げてるひとりという意識をもたれたら(実際にそうなんですけど)、その人にとっても場にとっても進化の可能性は無限でしょう。
瞑想は心地いいもの、そして瞑想によって日常生活のクオリティも変容するということをこれからも発信していただけたらと思います。
本当の自分で在ること、その自分として人と関わること、それ以上ものは存在しないと思いますから。
いい体験をありがとうございました。
瞑想をするものではなく「ただ在る」ことであると理解できたのは、Fさんが主催されている瞑想会に参加してでしたが、それが私が主催するものでも起こったので、とても嬉しく思いました。
参加者の方々にそれぞれエネルギーワークを行ったのですが、参加者のみなさんそれぞれが高位のチャクラが開いていて、質の高いエネルギーが感じられたのですが、Fさんは特に繊細な領域と繋がっていることが感じ取られました。長年に渡って「ただ在る」ことを体験されているので、それも当然だろうと思いました。
Fさんが感じられたことは特別なことではなく、誰でもそれを本当は体験していることですが、日常に埋没することでそれを理解できません。Fさんからメールをいただき、このことを少しずつではありますが、発信していこうと改めて決意しました。
今月は14日と16日にも瞑想会を開催します。まだ参加枠に余裕があるので、参加希望される方はご連絡お願いします。また来月の5日、日曜日にも瞑想会を午後の一時から七時ごろまで開催する予定です。二部構成にするので、どちらかに参加していただいても結構ですが、もちろん通しで参加できる方はそちらをお勧めします。
スポンサーサイト