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急に決まりましたが

急遽開催となりますが、瞑想会のお知らせです。


瞑想と一口で言っても多くの種類があります。マントラ(真言)を唱え続ける。呼吸を数える。マンダラや仏画を見つめる。神や仏などをイメージする。その他数えていけばきりがないでしょう。しかしそれらは最終的には「何もせずにただここにある」に集約されます。瞑想会ではそれを体験していただきます。

しかし、いきなり「何もせずにただここにある」というのは難しいです。私たちのマインドは何かをすることに慣れており、何もしないことを嫌います。そして、絶えず何かをしようと動き回ります。まずはこの動き回るマインドを鎮めていく必要があります。そのために身体技法や音を用いるなど、いくつかの技法を用いていきます。技法はあくまでも技法であり、それが瞑想そのものではありません。


そしてマインドが鎮まったところで、「何もせずただある」ことに取り組んでいきます。最初のうちはとまどうかもしれませんが、それを理解した人と一緒に瞑想することで、自分一人で瞑想するよりずっと容易に瞑想をしていくことができるでしょう。

この瞑想会では瞑想の真髄を、段階を経て具体的に体験していけるように組み立てられています。言葉でも説明していきますので、理屈と体験の両面から瞑想を理解していくことが可能です。わからないことがあれば、遠慮なく質問をしてください。

近頃は一人で瞑想している時より、個人セッションや瞑想会で誰かと共に瞑想する方が、より恩寵を感じるようになっています。これからの時代は自分一人で抱え込むのではなく、共に分かち合うものであると実感しています。

悟りや覚醒に関心がある方はもちろん、瞑想を体験してみたい方、心身の状態を改善されたい方、よりよい人生を過ごしたいという方などもぜひ瞑想会に参加し、ともに恩寵の降り注ぐ安らぎと至福に満ちた生を生きていきましょう。


日時 4月14日(日)午後2時~5時
料金 3500円
場所 ヒーリングスペース「和庵」東京都清瀬市野塩4-93-23(駐車場有)志木街道沿い信愛病院前西武池袋線秋津駅・武蔵野線新秋津徒歩15分


参加希望される方はメールフォームよりご連絡お願いします。
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今月の瞑想会

瞑想と一口で言っても多くの種類があります。マントラ(真言)を唱え続ける。呼吸を数える。マンダラや仏画を見つめる。神や仏などをイメージする。その他数えていけばきりがないでしょう。しかしそれらは最終的には「何もせずにただここにある」に集約されます。瞑想会ではそれを体験していただきます。



しかし、いきなり「何もせずにただここにある」というのは難しいです。私たちのマインドは何かをすることに慣れており、何もしないことを嫌います。そして、絶えず何かをしようと動き回ります。まずはこの動き回るマインドを鎮めていく必要があります。そのために身体技法や音を用いるなど、いくつかの技法を用いていきます。技法はあくまでも技法であり、それが瞑想そのものではありません。



そしてマインドが鎮まったところで、「何もせずただある」ことに取り組んでいきます。最初のうちはとまどうかもしれませんが、それを理解した人と一緒に瞑想することで、自分一人で瞑想するよりずっと容易に瞑想をしていくことができるでしょう。



この瞑想会では瞑想の真髄を、段階を経て具体的に体験していけるように組み立てられています。言葉でも説明していきますので、理屈と体験の両面から瞑想を理解していくことが可能です。わからないことがあれば、遠慮なく質問をしてください。



悟りや覚醒に関心がある方はもちろん、瞑想を体験してみたい方、心身の状態を改善されたい方、よりよい人生を過ごしたいという方などもぜひ瞑想会に参加し、ともに恩寵の降り注ぐ安らぎと至福に満ちた生を生きていきましょう。


日時 3月17日(日)午後2時~5時



料金 3000円



場所 ヒーリングスペース「和庵」東京都清瀬市野塩4-93-23(駐車場有)志木街道沿い信愛病院前西武池袋線秋津駅・武蔵野線新秋津徒歩15分



参加希望やお問い合わせの方はメールフォームからご連絡ください。

瞑想会のお知らせ

瞑想会を月に一度のペースで行ってきて、参加されている方も、私自身も色々と気づきが深まったり、恩寵を感じています。一方的にこちらがリードするのではなく、お互いに分かち合いがある場にしていきたいと思っています。


来月の瞑想会のお知らせです。

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☆動き、音、呼吸、沈黙の瞑想会


静かに沈黙をして、今ここにただ在るということができれば、それはとても心地よく、本当の自分に気づいていけます。しかし、私たちや思考や感情、肉体など多くのものにとらわれてしまい、なかなか沈黙の中にただ在るというのが難しくなっています。


様々なとらわれから解放されていくために、体を動かし、音を聞き、呼吸をしっかりと行っていくことで、ブロックから解き放たれていきます。その後の沈黙の中にただ在るという一時は、本当のリアリティです。


まずは体を動かすことで肉体のブロックを浄化し、それからビートの効いた音楽の中で強く深い呼吸を繰り返します。それによって心身のブロックが解放されていき、深い意識に内在しているものが浮上していき、それに気づくことで解放されていきます。最後は気づきを鮮明にし、完全に心身を寛がせ、そしてハートを開いていく瞑想を行って終了します。



◎場所 ヒーリングスペース「和庵」
 東京都清瀬市野塩4-93-23(駐車場有)志木街道沿い信 愛病院前
 
 西武池袋線秋津駅・武蔵野線新秋津徒歩15分


◎日時 2月11日(祝) 午後1時~午後5時ごろの予定


◎費用 4000円


参加希望やお問い合わせの方は、メールフォームからご連絡ください。

わけがわからない内容でも楽しめるものだ

私は一人で映画を見に行くのが好きだが、子供の頃はそんなことができるはずもなく、親や親せきと行くか、友人と共に映画館に行っていた。70年代後半にはいわゆるSF大作が多く封切られ、その代表だったのが「未知との遭遇」と「スターウォーズ」だった。どちらもアメリカで同じ年に封切られ、翌年日本でも公開された。どちらも大評判となり、大きな話題になっていた。私は「未知との遭遇」を親戚のおじさんに連れて行ってもらい、「スターウォーズ」は友達と一緒に見に行った。「スターウォーズ」は子供にも面白く、その時の衝撃は今でも忘れられない。対して「未知との遭遇」は、小学生には少しわかりにくく退屈だった。それでもラストの30分ほど、人類と異星人との邂逅の場面は印象深く、マザーシップが登場してからは圧倒されていた。「スターウォーズシリーズ」は、その後にも全部みてしまい、「未知との遭遇」大人になってから改めて見ると、とても面白かった。


「スターウォーズ」を単なるSFや冒険活劇で、単純な勧善懲悪ものと思っている人も多いかもしれない。しかしその背景には神話がある。「スターウォーズ」は新たな神話である。これは私が勝手に言っていることではなく、「スターウォーズ」の監督であるジョージ・ルーカスが言っていることである。 スターウォーズの神話学 前編  後編  「スターウォーズシリーズ」が未だに多くの人に愛され、歴史に残るものとなっているのは、面白い映画であることは当然として、実は奥深い作品であるからである。スピリチュアルなことに関心がある人は、「マトリックス」を大抵見ているが、なぜか「スターウォーズ」を見ている人が案外少ない。それは「スターウォーズ」が新たな神話であり、神秘的な物語でもあることを知らない人も多いからだと思う。


「未知との遭遇」は宗教映画という感想をいだく人も少なくない。異星人との遭遇、マザーシップ降臨の場面では、神々しさすら感じられる。スピルバーグもそれを狙っていたのではないかと個人的には思う。日本人のほとんどは気づいていないが、ハリウッド映画は宗教的な要素を盛り込んでいるものが多く、「未知との遭遇」は直接的に宗教を描いていなくても、宗教的な感覚を観客に呼び起こす。「未知との遭遇」を見て、前半は退屈した人でも、最後の30分は肯定するにしろ否定するにしろ、強烈なインパクトがあるだろう。映画には見ている人の深層心理に強い印象を与える。それは時にはスピリチュアルなものでもある。映画は総合芸術であり、トータルに人の心理に影響を与えうる。


そしてSF映画の金字塔といえば、「2001年宇宙の旅」であり、「スターウォーズ」と「未知との遭遇」はリアルタイムで見たが、2001年は公開されたのは私が生まれる一年前なので、リアルタイムでは見ていない。ビデオやDVDで何度も見たが、ストーリーはわかりやすいとはとてもいえない。いやそれどころか多くの人がさっぱりわからないという感想を抱くだろう。私も何度2001年はさっぱりわからない、という声を聞いたことか。そのわかりにくさは、説明がほとんどないという点が大きい。ラストは何の説明もなく主人公の乗っている宇宙船が光のトンネルに入り、しばらくその中を移動していき、老いて病んでいき、最後はスターチャイルドとなって地球を見るカットで終わる。「これはいったいなんなのだーーーー?!」と見た人のほとんどが思うだろう。しかし私は光のトンネルは内面の旅であり、主人公は生老病死を体験し、最後は再生したのだと解釈し、わけがわからないということもなく、深い余韻に浸った。これは私個人の解釈であり、これが正解というつもりはない。監督のキューブリックには明確な意図はあったようだが、説明がないのでそれは映画を一度見ただけではわからない。それはそうとしてわけがわからない映画でも深層心理に強いインパクトを残し、楽しむこともできる。だから私は一見わけのわからない映画も好きだし、それを大いに楽しんでいる。


今月「エヴァンゲリヲン 新劇場版 Q」を二度見た。一度目は映画の日に一人で、二度目は知り合いが見に行きたいというので、一緒に見に行った。私はエヴァの長年のファンであり、非常に評価している。その一方でわけがわからない、という人たちがいるのもわかる。それは監督の庵野秀明が説明を作中であまりしていないからである。エヴァ好きの知り合いとも話したが、説明がされていないところは、「なぜそうなのだ?」と聞かれても答えようがない。監督に聞いてくれとしか言いようがない。という共通の見解だった。一緒に見に行った知り合いは、映画を見終わってから話を聞いてみると、途中までは何とかついてこれたが、最後の方はもうわけがわからない。と少々憤慨していた。私がこれはこういうことだと説明できる範囲で説明したが、それでも納得が言っていない様子で、あまりにも説明が足りなくて不親切だと言う。その感想も致し方がないだろう。


しかし私はストーリー的にまるで補完されていなくても十分に楽しむことができた。映画館で映画を見ると映像と音の迫力がものすごいが、それに良い意味で圧倒される。エヴァの新劇場版では映像が非常に進化しており、見ているだけで変性意識状態になる。私はそれだけでも十分に楽しめる。そしてこれは監督の意図していることではないだろうが、私はエヴァで覚醒のプロセスを描いていると感じた。


劇中でも覚醒という言葉が使われているが、それは精神的や霊的に覚醒したという意味で用いられているわけではない。しかし私はそういう意味での覚醒のプロセスが描写されているととらえた。エヴァが覚醒し、フォースインパクトが起こりそうになる。その時に天が開き七色の光が輝く。そして外界は大きく破壊される。霊的な覚醒において、頭頂が開き光が輝く体験がある。そして内面が大きく乱れ、今までの自分が破壊されていくような感じがすることもある。これはあくまでも途上であり、本当に覚醒してくると特別な体験もなくなり、内面も静かになるが、途中のプロセスとしてはそのような体験を通過していくこともある。庵野秀明は何らかの覚醒体験といえるようなこと、霊的と思われる体験をしてはいるのだろう。そうでなければあれだけの映像や音を表現することは不可能である。


余計な説明を入れないことで、イマジネーションは広がっていく。限定された世界にとどまらず、自由で広がりのある世界が展開される。そもそも理解できないというのは思考の世界であり、思考を超えてしまえば理解できるできないという二元から解放され、ただそこには言葉では言い表せないものが残る。優れた映画はそれを体験できるものという見方もできよう。このことをもっとうまく論理的に表現できる人もいるかもしれないが、今の私はあまりそういう方向い意識が向かわず、ただただすごいものはすごいとしか言いようがない。ただし映像がただすごいとかそれだけで思考を超えたところに到達できるわけではない。背景に何らかのスピリットがあって初めてそのような至高体験をすることができる。


本当に覚醒してくると、一切が明らかになってくるだろう。しかし、その全段階として「何が何だかわからない」という感覚も大事だと思う。そこを通過して初めて全てが明らかになってくるのだと思う。「何だかわからない」という感覚を人はないがしろにしがちだが、その中にこそ叡智が潜んでいることも少なくはない。そして優れた映画はそれを喚起させるものであり、そういう映画こそ後世にまで語り継がれるだろう。それはヒットしたとかしないというのは直接の関係はない。そのような映画に巡り合えるかどうかも、その人の感性によって決まってくる。

境界がない

昨日は知り合いと対面でセッションをする予定だったが、知り合いの都合が悪くなり、それは延期となった。私はそれを楽しみにしていたので少しだけがっかりしたが、「木曜は自宅最寄り駅近くの映画館で1000円で映画を見られる日だった」と思い起こし、「007スカイフォール」を見に行った。作品としての評価が高く、興行収入においてもいままでの007シリーズで最高となるだろうというほどの出足を見せている。しかし仕事場の同僚がつまらなかったと酷評していたので、どんなものか見てみたかった。


前半は少し退屈だったが、悪役であるハビエル・バルデムが演じるシルヴァが登場してから俄然面白くなってきた。ハビエル・バルデムは「ノー・カントリー」でアカデミー主演男優賞を受賞しているが、ここでの悪役ぶりがものすごい。もはや単純な悪というものを超えている。今回も深みのある悪役を好演していた。一人の役者が登場するだけで、映画がガラリと変わってしまった。


今までの007映画を踏襲しているが、荒唐無稽さが抑え気味かと感じた。そこが評価の分かれるところであるかもしれない。アカデミー賞監督のサム・メンデスが監督しているので、少し格調高い雰囲気となっていた。ボンドの今まで明かされなかった面にも触れており、私は非常に満足した。映画を見る前に少し落ち込んでいた気分もすっかり晴れていた。


夜になってセッションを行う予定だった知り合いとスカイプができることになった。最初の数分は直接話しをしていたのだが、すぐに通話ができなくなってしまった。そこでチャットでのやり取りに切り替えた。スカイプでセッションを何度かしているが、直接通話しなくてもできるかためしてみたかったので行ってみた。


まずはエネルギーワークから始めた。エネルギーワークをすると意図したとたんに、エネルギーが流れていくのがわかった。終わってからチャットでどうだったか聞いてみると、頭のほうでエネルギーがきてる感じがチカチカしてボディのほうに意識あわせると水槽みたいな浅い海みたいのにいて全体的に包まれてた。フワフワした感じで、とても心地よかったとのことだった。スカイプにおいて通話でなくてもセッションができることがわかった。


次には私が瞑想してそれに共鳴することをやった。15分だったがあっという間に15分経った。どのような感じがしたか確認してみると、私が瞑想してからすぐに抵抗を感じ、お腹も動き出したが、サードアイに意識を集中すると、深く入れた感じがしたということだった。私は根源とつながるような瞑想をしていたのだが、それに間違いなく反応しているのがわかった。


セッションはうまくいったが、私自身にも大きな恩恵があった。瞑想をしていると、いつものように今ここにただ在るという状態になったが、その時にはよく広大無辺とか深みというものを感じるが、その時はそれすらなく、本当にただ在った。広いとか深いというのも限界があるが、ただ在るには限界がない。境界が存在せず無境界である。このことを今までにないくらい実感した。広い狭い、大きい小さいもなく、ただそこに在る。「それ」とか「これ」としか表現のしようがない。おそらく一人で瞑想していたら、このことに気付けなかっただろう。お互いに共鳴することでより深い気づきが生じたと思う。


昨日は映画も見れたし、スカイプのセッションはうまくいったし良い日となった。最初に意図したものと違う流れになっても、心を動かしたり憂いたりする必要もないのだ。


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唯我独存

Author:唯我独存
ヨーガ・瞑想暦20年ほど。レイキマスター。日々この瞬間を大切にすることをモットーとする。気付き、寛ぎ、ハートの三つから、今ここにあることを体得し、それを伝えていこうとしている。

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